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「少年を縛りつける少女」の構図が逆転 150年経っても『若草物語』が古びない理由

2020/07/04
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「そのうち大人にならなくちゃいけないの?」

「近いうちにね」

「ぼくは学校に行って、まじめくさったことなんか勉強したくないんだ」ピーターは激しい口調で言いました。「大人になんかなりたくないんだ。まっぴらさ、ウェンディのお母さん、朝、目を覚ますとひげが生えてるなんて!」

「ピーター。わたし、きっと、ひげのあなたが気に入るわ」なだめ役のウェンディが言いました。お母さんはピーターに向かって手を伸ばしましたが、ピーターははねつけました。

「近づかないで、奥さん。誰もぼくを捕まえて大人にすることなんかできないんだ」 

 こちらは世にも有名な「ピーター・パン」の小説の一シーンだけど、ここには面白い構造が描かれている。それは、ずっと子どもでいたい、と主張するのは、少年である、という点だ。

 ピーター・パンは言う。大人になんかなりたくない、と。

 だけどウェンディはささやく。私はきっと、大人になったあなたが好きよ。私と一緒に、大人になって、恋をしましょう、と。

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 ピーター・パンは拒否をする。

 自分は大人にならない。誰にも捕まらない。きみのことは好きだけど、それは性的な意味じゃないんだ。

映画『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』より

……という構図は、まあピーター・パンを持ち出すまでもなく、わりとありふれた話だと思う。

「女の子はませている」とよく言うけれど。恋する女の子ははやく大人になって結婚したがっている。しかし男の子がもっと自由でいたい、縛られたくない、と拒否する。

「誘う女性」に「自由を選択する男性」。たとえば少年漫画やアニメでたまに描かれる構図だし(「俺の冒険はまだ続く!」ってやつである)、あるいは『男はつらいよ』の寅さんなんて、このような系譜の筆頭だろう。

 男は少年でいたいんだよ、なんて言葉は完全に時代遅れの偏見クリシェだとは思うけれど、それでもそんな台詞を聞いたことがあるのは事実である。

 だけど思う。

 いや、女の子だって、大人にならなくていいなら、なりたくないよ。

 ただ、女の子が「大人になりたくない」なんて言うのが、ゆるされていなかっただけだよ、と。

映画『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』より

のちに作家となるジョーを主人公とした名作

 本題に入ろう。『ストーリー・オブ・マイライフ』、副題は『わたしの若草物語』という映画が先日公開された。

 原作となった『若草物語』といえば、『赤毛のアン』と並んで世界中の少女たちに愛される児童文学である。主人公は、19世紀後半のアメリカに住む四人の姉妹たち。メグ、ジョー、ベス、エイミー。父は牧師として南北戦争に出征してしまったため、母と女中と四姉妹で家を切り盛りしなくてはいけない。のちに作家となるジョーを主人公として、四姉妹の人生をキリスト教的価値観も含みながら描いた物語だ。