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76歳になった久米宏 ついに“レギュラー消滅”の胸中とは「テレビ局の“予算がない”は言い訳…」

「これでお別れっていうわけじゃありませんから」

2020/07/14

 きょう7月14日はフリーアナウンサーの久米宏の76歳の誕生日である。先月27日には、パーソナリティを務めてきた土曜午後のラジオ番組『久米宏 ラジオなんですけど』(TBSラジオ)が最終回を迎えたばかりだ。同番組が始まったのは、久米がメインキャスターを務めた『ニュースステーション』(テレビ朝日系)の終了(2004年3月)から2年半後、2006年10月のことだった。奇しくも同じ時間帯には、みのもんたが古巣の文化放送で1987年から番組を持っていたほか、久米と時期を同じくして小倉智昭がニッポン放送で番組をスタートさせ、テレビの人気司会者3人がラジオで競演と話題を呼んだ。結局、みのと小倉の番組は先に終了し、最後まで残った久米も14年で番組に幕を引いた。最終回のラストでは、『ニュースステーション』終了時にビールで乾杯したような派手なパフォーマンスはなかったが、「僕はクセがある人間なんでね、いままでいっぱい番組やってきましたけど、スタッフは苦労したと思いますね」「でも、これでお別れっていうわけじゃありませんから、またチャンスがあったら、いつか、そのうち、ぜひ」と締めくくった。

7月14日に76歳の誕生日を迎えた久米宏 ©文藝春秋

「就職はどうなの?」TBSを受けた理由

『ラジオなんですけど』という番組タイトルは、久米が考えたという。18年半にわたってテレビの人気報道番組でキャスターを務め、すっかり“テレビの人”になっていた彼が、今度はラジオでささやかながら番組を始めたといった意味合いでつけたのだろう。ただし、久米のキャリアからすると、ラジオがテレビに先行する。

 久米が早大卒業後、TBSに入社したのは1967年と、ちょうどラジオの深夜放送がブームになり始めたころだ。TBSで『パックインミュージック』、ニッポン放送で『オールナイトニッポン』と、のちに若者から支持を集める番組があいついでスタートしたのがまさにこの年だった。後年、彼は当時を振り返り、《深夜放送がブームになり、これまでのように高校では放送部、大学では放送研究会に入るような人間ではなく、ちょっと風変わりなヤツを放送局が求めていた、ということでしょう》と語っている(※1)。大学では演劇に熱中し、TBSを受けたのは、母親から「就職はどうなの?」と心配され、アリバイづくりのために仕方なくだったという。