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角幡唯介「あなたの探検や本は社会の役に立ってないのでは」に言いたいこと

2020/07/19
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会社員は自己矛盾を感じないのか

――犬橇の旅では、角幡さんの持論である「脱システム」(探検とは人間社会のシステムの外側に出る活動である)の次なるテーマがだんだんとはっきりしてきたのでしょうか。

角幡 「脱システム」については、極夜の旅で一度やりきったかなと。今は思いつきに従って行動することで、どんどん「固有度」が高まってきたなという手ごたえがあります。

©角幡唯介

 昔から謎なのは、普通に会社員として働いているビジネスマンの場合、会社側からの要請に対応していくなかで、だんだん自分も企業や経済界の論理に染まっていくのか、それとも自分の発想と業界の思惑は別のものとして温存できるのか、ということです。さっきも言ったように、外側にある企業の論理と、個々人の内側の論理はぶつかりあうものだと思うんですが、多くの組織人はその両方にまたがって生きている。自己矛盾みたいのは感じないのかな、とか。そのへんをどう処理しているのか、僕はまともに社会人をしたことがないからよくわからないんです。新聞記者をやってましたが、あれは組織内個人事業主みたいなものだから。

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 僕の場合は自分のやりたいことしかやらないので、「次、これやりたいな」と思い浮かんでは実現させることを繰り返してきたんですよ。僕はこの思いつきというのを重視してます。思いつきは、過去の経験があって初めて生まれるもので、今までの自分の足跡や歴史、偶然が全部詰めこまれています。思いつきにしたがって生きていく過程で、行為の固有度や内在性が高まっていく。その結果として、昨年43歳で「ああ、だんだん角幡唯介になってきたな」と初めて思いました。

登山家は登らないではいられないし、山で死ぬこともある

角幡 登山や冒険もそうです。登山というのは、単にそこにある山に登るわけではなくて、それまでの登山の帰結として、ああ、次はあの山に登りたいと思わしめる存在として、そこにある山に登る。登りたいという思いのなかに過去の自分のすべてが凝縮しているからこそ、登山家は登らないではいられないし、山で死ぬこともある。内在的論理とはそういうもんです。社会に役立つことと関係ないからこそ、生きている実感がある。

『極夜行』の相棒・ウヤミリック。食料が尽きかけ、犬を食べる想像をしたことも ©角幡唯介 

極夜行』の後に、「もっとグリーンランドの土地に詳しくなりたいな」と思って、狩りを前提に旅を始めました。昨年からはさらに犬橇もはじめて、向こうで飼ってます。今回は昨年アウンナットの小屋にデポしておいた食糧と合わせて、橇に16袋のドッグフード(約1カ月分)を積んで、これまでに行ったことがない場所もぐるっと回り、5月11日にシオラパルクの村に戻ってきました。「ここにジャコウウシがいるのか、ここには荷物置ける場所があるんだ」という様々な収穫があって、また来年以降、新たに獲得した知識をもとに、もっと遠くへ行けます。

 過去の結果として次の旅が開けてくる。今、僕が北極でやっている旅は、言ってみれば内在的論理を旅のかたちで表現したものでもある。もうライフワークになってますが、役に立つことを強制する社会への批評行動としても、これは納得いくまで貫徹したい。