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「勇気を与えたい」という傲慢――私は自分の作るものが人の役に立つとは思っていない/田中和将

「文學界」7月号「群れず集まる」より

2020/07/24

 令和二年四月、今年の春はいやに肌寒く感じていたが、ようやくこの季節らしい日差しが降り注ぐようになった。伸び放題になってきた木をそろそろ手入れしなければと思っていたある朝に雨戸を開けると、ほんの二尺ほどの近さで鳥と目が合った。猫の額ほどの庭、よく見るとオリーブの木に鳩が巣を拵えている。ちょうど掃き出し窓に立った私の目の高さである。これは困った。たくさん集まってきて糞を落とされたりしてはたまったものではない。そうなると近隣にも迷惑がかかるであろうし、追い出すべきか否かと悩んでいたが、既に卵を温めている様子である。最早追い出しにくいではないか。

GRAPEVINE 田中和将

 調べてみたところ、そこらの公園などで群れているドバトではなく、キジバトのようである。たしかに公園のものより少し細身で色柄も違う。きりっとしていてどことなく野鳥の趣である。キジバトは群れず、単独、或いはつがいで行動するとあり、なるほど昼と夜で雄と雌(私には雌雄の区別はつかない)が交代して巣を温めている。糞も巣の外にはほとんど落とさないようであるし、これなら問題は無いと胸を撫で下ろしていると二羽の雛が孵った。予想に反して薄汚い雛であるが、可愛くないこともない。末の息子と一緒に観察日記をつけて見守ることにした。

 さて、何故にこんな隠居老人宛ら鳥を眺めて暮らしているのか。仕事が無いからである。

 音楽に目覚めて以来、バンドがやりたくて仕様がなかった。もちろん創作も好きではあるが、それ以上にバンドをやることが喜びであった。やがてその願いは叶えられ、幸いにも周囲の人々やお客さんに支えられながら二十年以上も活動を続けて来られたのであるが、ここへきてぴたりと止まってしまったのだ。

 一人でも創作という行為は可能である。それはこれまでと変わりはないが、思えば私の場合、それをバンドで演奏するという目的の後押しがあってのことであった。独りで作ったものを一人でどうすることも出来ないのである。

 音楽の聴かれ方、使われ方が時代とともに変わってゆくのは必然であり、インターネットによって発信の仕方も享受の仕方も変わってきた。わざわざバンドを組まなくてもバンドみたいなものを一人で作り、一人で発信することも幾らでも出来るのである。そういった方法に無頓着であり、どちらかといえば避けてきた私のような者は途方に暮れるばかりである。