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川崎球場10.19を知る男の物語〜定年退職を迎えたあるロッテ球団職員の回想

文春野球コラム ペナントレース2020

2020/08/06
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 7月31日、ZOZOマリンスタジアムで行われた楽天戦の試合前に異例のセレモニーが行われた。この日を最後に定年退職する球団職員、丸山一仁氏の始球式が行われたのだ。丸山氏は1982年にドラフト5位で入団した内野手の元選手。プロ6年間で通算試合出場数は111試合。45安打、4本塁打、28打点が現役通算成績だ。引退後に誠実な人柄が評価され球団職員に転身。広報、営業などを務め、ロッテ37年間の人生に幕を下ろすこととなった。

金田正一さんから教えられた裏方三原則

「こんな形で色々な人に見送られながら退職できて、本当に幸せ。感謝しかないです。新しい人生への最高の船出となりました」

 万雷の拍手に包まれ始球式を終えた丸山氏は笑顔で感謝の気持ちを述べた。現役時代の1988年には、あの近鉄バファローズとの川崎球場での伝説のダブルヘッダーも経験している。いわゆる10・19。2試合とも代打で出場し四球。2試合目の出番は延長10回裏。悲願のリーグ優勝を目指していた近鉄バファローズだが10回表に勝ち越すことが出来ず、当時のルールでこの回で試合終了となることから優勝の可能性は消滅。打席に入った際、梨田昌孝捕手(現野球評論家)の憔悴した表情が忘れられないという。

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「ふとキャッチャーの方を見たら梨田さんがうな垂れていた。あの表情は今でも忘れられない」(丸山氏)

 普段はなかなか満員にならなかった当時の川崎球場が3万人の超満員。ロッテ、近鉄の両球団ファンだけではなく、近鉄と優勝争いをしていた西武ファンも見かけたという。球場外の建設中のマンションから観戦する人が出るほどの注目度。今でも語り継がれるこの試合の一員であったことを丸山氏は誇りに思っている。

始球式で投げる丸山一仁氏 ©千葉ロッテマリーンズ

 89年のシーズン限りで現役を引退。球団職員として最初に任された仕事は金田正一監督付きの広報だった。その時、金田監督から教えられた裏方三原則は今も大事にしている。

「裏方に大事なのは目配り、気配り、心配りと教えていただいた。それからの人生、ずっと肝に銘じてやってきた」と丸山氏。監督付き広報の業務は激務だった。ナイトゲームでどんなに遅くても遠征先の日課は朝の散歩から始まる。宿舎では向かいの部屋を当てられていたため朝、ドアを半開きで待機。柏手を打つ合図があれば、まもなく散歩の時間だ。廊下に飛び出し、監督が出てくるのを待った。「柏手を打って、朝日に向かってお祈りをする。そして散歩。それが金田監督の一日のスタートの合図だった」。散歩が終わると監督のスケジュール調整、取材対応。試合後のミーティング、会食などもあり解放されるのは日付が変る事がほとんどだった。そしてまた朝6時から散歩。睡眠時間は1日3時間ほどの毎日を続けた。

「今でこそありえないけど、365日で正月前後5日間ぐらいしか休みはなかった。携帯電話もない時代だったから、色々と調整は大変だった」と当時の激務を振り返る。ただそんな日々を思い返す丸山氏の表情はイキイキとしている。充実の毎日だったのだ。

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