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元ベイスターズ・ローズから届いた手紙――色あせた「23」のマスクに思いを込めて

文春野球コラム ペナントレース2020

 夏の琵琶湖はボストンの薫り。

 あれはもう10年ほど前のことになるのだろうか。滋賀県南西部にある栗東市。JRAのトレセンがある馬の町に所用で立ち寄った私は、その帰りの途上に妙に気になる店を目にした。

“ステーキキッチン ボストンコモン”

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 その店がボストンの中心地にある公園の名を冠しており、ステーキ“ハウス”ではなく“キッチン”を名乗っていること。そしてその落ち着いた雰囲気の店構えから、地元の人に愛される家庭的なステーキ屋さんであることはすぐにわかった。

 その一方で“馬の町で牛を出す”。そんなうっすらとした反骨精神みたいなものに興味をそそられたのかもしれない。魅入られるように敷居を跨いだ瞬間、私は目を疑った。オールドアメリカの空気が漂う店内に、ただひとつ空気を拒絶するかのようにぶらさがるホッシーの人形。それは地元の人々には単なるヒトデの干物のぬいぐるみにしか見えないのだが、ある共通の思想を持つ人間を炙り出すためには大きな意味を為す。私もそれを見て、例外なく言葉を発せずにはいられなかった。

店の入口にぶら下がるヒトデの干物に一定の人種は誘き寄せられる

「横浜……ベイスターズですか。なぜ、そんなものを?」

「ああ! お客さんも、ベイファンですか」

 時は暗黒時代ど真ん中。甲子園の通路をユニ姿で歩けば「うわぁ、生のベイファンはじめてみたわ。ホンマにいるんやな」とオカピの扱いで写メを撮られたあの時代。阪神文化圏の真ん中でそんな思想を明らかにすることは、よくて変わり者、最悪村八分である。

 30代半ばと思しき人の好さそうな店主は、私の言葉に100年の思い人を迎えたような笑顔をブーストさせ、食い気味に問いかけてきた。

「ああ! お客さんも、ベイファンですか」

 私は周囲を確認しながらおそるおそる首肯すると、店主は「少々お待ちください」とバックヤードから何かを持ち出して、カウンターの席にテキパキと飾り付けをはじめた。

「お待たせしました。スペシャル“マンウェイ”シートです」

 それが98年の優勝戦士“万の使い道(Way)がある男”万永貴司(現・二軍総合コーチ)氏をテーマにした特等席であることは、椅子カバーに使われていた背番号0の真新しいユニフォームを見るまでわからなかった。なぜ、滋賀でマンウェイ。滋賀のギャルはちっとも見つめやしないマンWITH A 貴司なのか。いや、そんなことは些末な問題でしかない。私は目の前に散りばめられたベイスターズのテーブルセットにただただ感動していた。

ほかにもシゲルカガシート、デニーズシート、松山傑シートなどよりどりみどり

「横浜にはなかなか観に行けないんですけど、思い入れのある選手のユニフォームやグッズはずっと買っているんです。それで、お客さんの雰囲気に合わせてこの人は万永だろうな。デニーじゃないか。鈴木尚典かな、なんて考えるんです。古くなって出せなくなったグッズもたくさんあるんですけどね…」

 店主の名は松山竜太さんといった。聞けばこの“ボストンコモン”はもともと、ボストンのステーキハウスで料理人として勤めていた父・松山武司さんが、本格的なステーキを家庭的な雰囲気で楽しめるようにと日本に帰国後の1998年11月20日にオープン。現在は父と母と3人で店を切り盛りしている。

「オープンは、横浜ベイスターズが日本一になった1か月後なんですよ。縁があるんですよね」

 松山さんとは、その日を契機に親交を深めていった。表向きはとにかくステーキが安くて美味しいステキな店なので、関西に仕事で行けば寄らせてもらっていたのだが、その裏側では私のような“サイン”を見つけたひとたちが、ひとり増え、ふたり増えとなっていたのだろう。気が付けば関西のベイスターズファンが寄り添うアジトのようになり、いつしか店を貸し切りでベイファンの秘密集会が行われるようにもなっていた。ある年などはスペシャルゲストで来た大門和彦さんに、広島のアレンに追いかけられた凄惨な体験を語っていただき、皆で涙を流したこともある。

 さらに近年では「日頃なかなか口に出せないベイスターズのことを話せる場所を」と、月イチで「ベイストンコモン」という表立った集会を行うようにもなり、遠くは神戸や三重からもベイスターズファンがやってくるという。そんな日は、決まって店を貸し切りにして隙間なくベイスターズのグッズやユニフォームを店中に配し、関西のファンたちの癒しの場所となっているという。

あのR・ローズからメッセージが……

 2020年。静かな栗東の町にも、世界と等しくコロナによる自粛という厳しい時間がやってきた。ボストンコモンも緊急事態宣言期間中は店を閉め、宣言明けからはテイクアウトなどを行いながら、家族一丸で乗り越えるために必死になって知恵を絞った。

 そんな自粛中だった4月のある日。Facebookを通じて俄かに信じがたい出来事が起こる。

 1998年に日本一となったマシンガン打線の4番打者にして球団史上最強外国人の呼び名も高い、R・ローズからメッセージが来たのだ。

R・ローズ ©文藝春秋

 松山さんはひっくり返った。ボストンという名前のステーキ屋なので、かつてレッドソックスのスカウトも務めた大恩人、“牛”込惟浩さんと間違えてメッセージが来たんじゃないかと一瞬疑ったが、正真正銘、自分宛にきている。

 一体ローズは何をみて、メッセージを送ったのだろうか。

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