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又吉直樹が語る「コントには綾部が必要なんです」

“テレビっ子”又吉直樹が語る「テレビのこと」#3

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「テレビはつまらない」「テレビ離れ」など、テレビにまつわる話にはネガティブなものが多い。

 しかし、いまなお、テレビは面白い!

 そんな話をテレビを愛する「テレビっ子」たちから聞いてみたいというシリーズ連載の6人目のゲストは、9月9日、10日にユニットコントライブ「さよなら、絶景雑技団」の公演を控えているピースの又吉直樹さん!

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 芸人となり、テレビやライブでコントを演じるようになった又吉さん。どんどんテレビでコントができなくなってきている中、どのようにお笑いと向き合っているのかを伺った。(インタビュー#1#2よりつづく)

上京当時、イメージしていた「芸人像」は同期のキングコングだったんです

 

――又吉さんは中学からお笑い芸人への夢を持っていたわけですが、高校はサッカーの強豪校に進学することになりますよね。

又吉 僕は中学から芸人になりたかったんですけど、相方の原(偉大)に一旦断られたのと、恩師にサッカーを続けろと勧められたのとで高校に進むんですね。それでサッカーの強い高校に行ったので練習漬けで、高校3年間はお笑いから遠ざかっちゃってるんですよ。たまにビデオ借りてきて観たりとかしましたけど、深夜番組も見られへんぐらいに毎日疲れてた。それで「この3年間で、もう俺は面白くなくなった、自分の旬は過ぎた」って勝手に思ってたんです(苦笑)。当時はFUJIWARAさんと2丁拳銃さんがやってた『吉本超合金』の話をみんながしていたんですけど、話についていけずに愕然としてました。でも、決めていたお笑い芸人になる夢は叶えたかったし、コンビを組むと決めていた原の期待にも応えたい思いは強かったんです。

――上京して、いわゆる吉本興業のお笑い養成所NSCに入学されることになるのは99年のことですね。どんな芸人像を描いていたんですか?

又吉 当時はダウンタウンさんの影響で若手はみんな「センス」に走っていた時代の最後の方だったんです。なので、僕がその時にとろうとした作戦は、その逆張り。むちゃくちゃテンポを上げて、明るく、ちゃんとボケてツッコんでっていうのをやったんです。だからコンビ名も「線香花火」。スーツを着て、伝統的な漫才を敢えてやったんです。それで最初のネタ見せに挑んだら、講師の人に「君、そんな人間じゃないやろ」って言われて。

――見抜かれた(笑)。

又吉 僕がその時にイメージしていたのは、同期のキングコングなんですよ。

――ああ! なるほど。

又吉 テンポ感とか、テンションとか、キングコングの2人の関係性みたいなのを含めて、ビジョンを描いていたんです。でも、元が暗い人間にあれはなかなかできないってことですね(笑)。キングコングは2人とも持って生まれたものがあるわけですよ。それで「わかった、俺は器用さもなんもない人間やから、自分が面白いと思うことを時間をかけてやっていくしかない」と気づいたんです。

 

ピース結成前後も、コントを書いていた

――「線香花火」を経て、2003年には綾部さんとコンビを組んで「ピース」を結成されます。コントを始めたのはピースになってからなんですか?

又吉 線香花火のときは、単独ライブではコントをやってたんですけど、通常出番の時は漫才だけでした。ユニットのライブ向けにコントを書いたりはしていたんですけど。

――ユニットコントの面白さってどんなところにあるものですか。

又吉 やっぱり自由度が高いですよね。たとえば僕にはできない爆発的な声量で叫ぶボケなんかを、誰かに担わせることができたり、そういう配役ができることで、自分がしたいことを広げられる面白さがあります。