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スペイン風邪だけじゃない! 磯田道史が語る「1820年の日本を襲った“パンデミック”」

「一家十人なれば十人皆免るる者なし」

〈我々は、いまなお新型コロナのパンデミックのただ中にいます。(略)感染症は火事に似て、未感染者は可燃物のようなもの。火の粉が飛んで一気に燃え上がるように流行が再燃しかねません。(略)この点、最も参考になるのは100年前の「スペイン風邪」です。この感染症は3~4の波で日本を襲ってきました。

 しかし、似たような感染症の大流行は、日本の歴史に他にはなかったのか。(略)かつて滝沢馬琴を読んで、記録の詳しさ、鋭さに驚いた記憶がありました。馬琴の「兎園小説余禄」を読み返すと、やはり記述がありました。

 今から200年前の文政3年(1820)9月から11月まで「感冒」が大流行した、とあります〉

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 こう語るのは、歴史家の磯田道史氏だ。

広範囲で流行した「新型」感染症か

〈「一家十人なれば十人皆免るる者なし」というほど強い感染力でしたが、症状については、「軽症の場合は4、5日で回復し、大方は服薬もせず、重症の場合は『傷寒』(重い感冒)のように、発熱がひどく、譫言(うわごと)を言う者もいるが、その場合でも15、6日病臥すれば回復し、この風邪で病死する者はいない」とあります〉

磯田道史氏

〈また、「江戸は9月下旬より流行して10月が盛りであった。京・大坂・伊勢・長崎などは9月に盛んだった由。大坂と伊勢松坂の友人の消息文にそうあった」と、広範囲で流行したことが分かります。

 旧暦とはいえ「9月、10月」は、「寒い盛り」ではありません。冬場にピークを迎える季節性のインフルエンザとは異なる感染症でしょう。今回の新型コロナのような季節性の弱い感染症で「新型」の可能性も捨てきれません〉

翌年に「第2波」が訪れた可能性

 そして、磯田氏はこう続ける。

〈馬琴の記述を他の史料とも突き合わせてみましょう。

 明治45年刊の富士川游著『日本疾病史』は、「痘瘡」「麻疹」「風疹」「虎列刺(コレラ)」「腸窒扶斯(チフス)」「赤痢」「流行性感冒」など、感染症ごとに過去の史料を集大成した貴重な通史で、年表も収められています。以後、今日まで、これに匹敵する感染症通史はありません〉

〈文政4年(1821年)の項に、こうあります。

「2月、江戸諸国風疾流行」(「泰平年表」)

「2月中旬より風邪流行」(「武江年表」)

 馬琴は、この前年(文政3年)の9月から11月まで感冒が大流行した、と記していましたから、これは「第2波」の可能性もあります〉