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Zeebraと日本語ラップの30年 『Grateful Days』“予想外”チャート1位と『いいとも』出演秘話

Zeebraインタビュー #2

2020/08/19

 ヒップホップアーティストが当たり前のようにチャートインし、アイドルもラップをする今、日本語ラップは非常に身近な存在だ。しかし30年前のシーンはまだ一部の人だけが愛好する小さなコミュニティで、日本語で放たれるラップは多くの人にとって耳馴染みのないものだった。そんなシーンの黎明期から活動し、日本にヒップホップカルチャーを根付かせたカリスマラッパーのZeebraさんに、日本語ラップ史のターニングポイントと、力を入れている社会活動について聞いた。(全2回の2回目/#1から続く)

Zeebraさん

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ヒップホップは「世直しを可能にする建設的な文化」

――1995年にヒップホップグループ「キングギドラ」の一員としてデビューされたZeebraさんですが、もともとラッパー志望だったのでしょうか。

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Zeebra ヒップホップが好きすぎて、その本場を見るために1988年にニューヨークに行ったんです。そのとき、自分が大好きだったラッパーのKRSワンが、ニューヨークのど真ん中をロードブロックしてホームレス救済のためのデモをやってたのに遭遇して。ニューヨークって当時は治安がめちゃくちゃ悪くて、現状を変えないことにはヒップホップもできないってことで、ラッパーたちが銃規制やドラッグの撲滅、貧困層の救済とか、真面目に社会的なことを一生懸命訴えてたんです。

 

 そういう姿勢にガツンとやられてしまった僕にとって、ヒップホップは「世直しを可能にする非常に建設的な文化」なんです。だからラッパーになったのも、ヒップホップカルチャーを広めるための手段のひとつだっただけで、はじめはDJでしたしね。でもそのとき自分の周りには僕より上手くラップできる奴がいなかったし、おしゃべりだったり英語ができることもあって、じゃ自分がラップをやってヒップホップを日本に広めようという感じでした。

突然、ハマコーさんの誕生日会に呼ばれた

――2016年にはZeebraさんが代表を務める「クラブとクラブカルチャーを守る会(CCCC)」の働きかけにより、風営法が改正されました。渋谷区観光大使ナイトアンバサダーも兼任されるなど、ヒップホップを通じた社会活動を盛んにされています。そもそもなんですが、政治家との接点はどこからできるのでしょうか。

Zeebra 2010年のハイチ地震のときに復興支援をTwitterで呼びかけたことがきっかけだったと思うんですけど、突然、元国会議員のハマコー(浜田幸一)さんの誕生日会に呼ばれたんです。そしたらハマコーさんが、「我々はZeebraさんのような方の動きをフォローしなくちゃいけない!」って紹介してくださって、その場にいた原口一博議員(当時の総務大臣)をはじめ、政治家の方と初めてつながりができたんです。

 

 その誕生日会には同じ事務所の眞木蔵人も同席してたんですけど、彼が主催していたイベントの会場が押さえられなくて困ってるって話をポロッとしたら、「うむ、ちょっと待て」って言ってハマコーさんがすぐどこかに電話して、「あのねえ、マイク眞木さんの息子さんがやってるイベント会場の件、わかるでしょ。じゃあ、よろしく!」で、問題はクリア。ハマコーさんって本気でスゲーなと感じました(笑)。でもあのとき、ちゃんとやりたいことを公明正大に説明すれば行政がサポートしてくれることも起こりうるんだと学んで、風営法の改正運動にもつながっていったんです。