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「石原プロの解消も、彼が整理をつけたんだと思います」

――やりたくないことをやり続けないといけないような気持ちもあったのでは。

 石原プロの責任者として、重荷が肩にかかっていたんでしょう。好きなことはできなかったと思う。石原プロの解消も、彼が整理をつけたんだと思います。こんなこと言うのもあれですが、彼が石原プロの代表者でなかったら素晴らしい役者になっていた。個人的な意見ですが。それは残念。裕次郎さんにしろ、勝新(勝新太郎)さんにしろ、渡さんにしろ、みんな会社をやってから早死にしている。大勢の面倒をみないといけない。役者は「個」ですからね。

舘ひろしとは「ひろし」「親方」と呼び合った

――石原プロも解散することになりました。

 役者は「個」ですから。尊敬する人や親しい人、ライバルが亡くなることは、逆に自分を磨くことに繋がると思うんですよ。だから、マサキカンダ(神田正輝)にしろ舘(ひろし)くんにしろ、渡さんという(支えになる)棒が亡くなったときに、どう生きていくかだと思います。今は相当ショックだと思いますけれど、これからどう伸びるかが、私からしたら楽しみです。

――いま、渡さんに声をかけるならば。

 この人はなかなか死なない人だと思っていましたから。だから……ずっとね……、「お疲れさま」とかではないな。イメージとしては、彼はね、日本間でじーっと正座をしているイメージしかないんですよ。薄暗いところで。(声を詰まらせながら)だから、そこで肩に手を置いてあげたいですね。それしかない。戦友みたいなもの。考えたら……役者になる前から知っているのは俺くらいしかいなくなっちゃったね……。同じような芝居はしていないから、仲間という意識はないんです。同じ時代に生きてきて、同じものを感じてきたというのが強いですね。

98年、吉永小百合と宝酒造「松竹梅」のCMで共演

「週刊文春」8月19日(水)発売号では、石原裕次郎と「石原軍団」を支え続けた渡哲也の忍耐と葛藤の様子、裕次郎未亡人との関係性、吉永小百合との恋愛秘話、舘ひろしら石原軍団が葬儀に呼ばれなかった理由などについて詳報する。

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