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“無敗の男”渡部恒三氏の遺言 「なぜ野党は敗け続けるのか」を問うと……

2020/08/28
散歩中も市民の呼びかけに印籠をかざした ©文藝春秋

 元衆院副議長の渡部恒三氏が8月23日、老衰のため逝去した。享年88。2012年の政界引退後は会津若松の自宅で歯科医の妻と二人暮らし。隠居した「平成の黄門さま」に秘話を伺うべく、何度も通ったことがある。例の会津訛りで飄々と来し方を語り、懐に印籠を忍ばせておくサービス精神は健在だった。

 1969年の衆院選で旧福島二区から初当選し、連続14回当選を誇った「無敗の男」。厚生相、自治相、通産相などを歴任した。

 早稲田大学雄弁会の先輩・竹下登氏に「国会議員は親の七光か、東大法学部卒の官僚でないとなれない」と言われ、氏同様、県議を経てから国政入りした。

 その竹下氏が総理になると真っ先に呼び出された。「官房長官だ」と直感したが、「国対委員長をやってくれ」。右腕となる筆頭副委員長を誰にするか、安倍晋太郎幹事長に相談すると「小泉純一郎で」。意中の人ではなかったが、一期後輩の小泉氏が想定外の活躍で党内の異論を封じ、消費税法案を通過させた。見直した渡部氏は小泉氏に「君はいずれ総理になるぞ」とお世辞を言ったがその通りに。後年、「最初に『小泉君は総理になる』と言ったのは俺だ」とよく自慢した。一昨年、地元で開いた200人規模の誕生会に小泉氏を招いた。小泉氏も意気に感じて片道3時間をものともせずに駆け付けた。

小泉純一郎元総理は、竹下政権時代に自民党国対筆頭副委員長として国対委員長だった渡部氏と二人三脚で可決させた消費税法案をめぐる政局劇を振り返った ©常井健一

 一方、互いに「竹下派七奉行」と呼ばれ、自民党離党など政治行動を長らく共にした当選同期、小沢一郎氏との関係は、複雑だった。