文春オンライン
文春野球コラム

カープ低迷期回想録――“不遇の助っ人”ジミー・ハーストに想いを馳せて

文春野球コラム ペナントレース2020

2020/09/17
note

 ああ。こんな時期あった。あったよ。昨今の私はそんなことを考えています。どういうことかと申しますと、チームが低迷を続け、頑張っても頑張っても上位に食い込めず、目指すものが無くなり、秋を迎えたあたりで「さ~て来年のことでも考えますか」などと言い始める、そんな時期。

 本来なら下位にいても「CS」という目標があります。しかし今年はありません。ああ、これって旧広島市民球場時代の低迷期に似てるかも。CSという制度が無い。優勝戦線にも参加できていない。まだ初秋なのに来年の話をしたり「せめて若鯉を使って希望を抱かせてくれ」と考えたり。消化試合という不愉快な四文字が脳内を駆け巡り、はらっても、はらっても頭から離れない。図らずも、そんな時期を思い起こしてしまいました。

 デジャブにも近いような「低迷期回想」を繰り返している内に、私の脳裏に、あるひとりの助っ人外国人が。このコラムを読んでくださっている皆さまの中で何人の方が覚えているか分かりませんが、もったいぶらずに書きます。ジミー・ハースト、その人です。

ADVERTISEMENT

ジミー・ハースト ©時事通信社

「広島のボブ・サップ」ハーストの記憶

 ハーストはシカゴ・ホワイトソックス~デトロイト・タイガース~マイナーリーグ~独立リーグを経て、2003年に広島東洋カープに入団。身長はなんと199cm、体重は102kg。その巨体と見た目から「広島のボブ・サップ」と呼ばれ、大砲どころか超大砲として期待されました。ちなみにその年、ハーストと共にアンディ・シーツという選手も入団したのですが、巨体の格闘家といった風貌のハーストと違って、シーツは細身で柔らかな顔つき。そのあまりのギャップに、日本への来日を報じたテレビを観た時、私はシーツに対して「あ、この人はハーストの通訳か」。そう本気で思ってしまいました。

 ハーストはキャンプインしてからも存在感をアピール。その豪快なスイングで場外ホームランを放ち、屋外にあった美容室の窓ガラスを突き破ったこともあります。翌日の新聞ではその報道と共に「推定150m弾」という派手な文言が踊っていました。間違いない。この男はバケモノだ。最低でも40本はホームランを打つだろう。しかし、シーズンが始まってから活躍したのはハーストでなく、私がハーストの通訳だと勘違いしていたシーツの方。守備を買われて入団したシーツは首脳陣に「打率は2割7分も打てば上出来」と言われていたのに、気づけば打撃不調だった新井に代わり、後半戦から4番を務めるようになりました。

 私は一体、なんの話をしているのでしょう。低迷による脳の迷走だとは思いますがとりあえず続けます。守備の人として雇われたシーツは4番に座るまでになり、やがて阪神に移籍して大活躍。片や最低でも40本は打つと思っていたハーストのホームランは最終的に5本、打率は2割7厘。私の中にあるハーストの記憶は、開幕前の場外ホームラン、そして「モーニング娘。」の歌が陽気でいいねと気に入っていた。それくらいです。

文春野球学校開講!