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「自分が生きる手段を持っているから、亭主に寄っかかるのは嫌」――内海桂子さんが語っていた死生観 #2

source : 週刊文春 2012年9月13日号

genre : エンタメ, 芸能, テレビ・ラジオ, 娯楽, ライフスタイル

 漫才コンビ「内海桂子・好江」で知られる、漫才協会名誉会長の内海桂子さんが8月22日に亡くなっていたことがわかった。97歳だった。

 理想的な死のかたちとはどういうものかを人生の達人に尋ねる『私の大往生』(文春新書)で、内海さんは自らの死生観について語っていた。インタビュー全文を特別公開する。なお、記事中の年齢、日付、肩書などは掲載時のまま。(全2回の2回目/#1より続く)

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©文藝春秋

 健康に気を遣うのは、桂子師匠が“あの人”と呼ぶ、夫のためでもある。

 戦時中にコンビを組んだ相方と所帯をもったこともあった桂子師匠だが、その相方とは戦後に別れることになる。

 その後の99年、かねてから同棲していたマネージャー・成田常也氏と入籍した。成田氏が24歳も年下だったこともあって、世間の注目を集めた。

 あの人はあたしの漫才を、小学生時分からすでにラジオで聞いてたのね。それからアメリカの航空会社にいたんだけど、ある日電話をかけてきた。手紙も300通くらい来て。

 それが突然、アメリカの会社を辞めて日本に帰ってきた。東京で仕事をしながら師匠のそばにいたいって。それがきっかけなの。だから別にあたしがたぶらかして、惚れたの好きだの言ったわけじゃないんだけど、それで一緒にいるようになった。

内海桂子さんと24歳年下の夫・成田常也氏 ©文藝春秋

 それまでも男を知らないわけじゃないですよ。亭主もいたし。でも、あたしがいくら一生懸命働いても、子供を育てても、手伝ってくれようとしたのはいなかった。だって、子供おぶって商売してたんだから。興行に連れて歩いて、舞台出てる間は楽屋で面倒を見てもらって。お客がゲラゲラ笑ってるから、何だろうと思って振り向いたら、子供が舞台に出てきちゃってた、なんてこともあった。なのに亭主は麻雀やったり、みんな自分の勝手なことばかりしていましたね。

 そもそも、亭主が欲しいなんてことは考えてなかった。それは、男の社会で働いてるから。つかもうと思えばいくらでも機会はあったけど、自分が生きる手段を持っているから、亭主に寄っかかったりっていうのは嫌なの。