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日本の結核発症率はアメリカの4倍 なぜ先進国の中でも罹患率が高いのか

『世界を変えた微生物と感染症』より #2

2020/09/07
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 結核は第二次世界大戦終了後まで、死亡率の第1位を占めてきた感染症だ。一度罹患したら患者の治癒能力に任せるほかない「死の病」として世界中で恐れられてきた。しかし1944年に開発されたストレプトマイシンに続いてさまざまな抗結核薬が開発されたことにより、結核は「治る病気」になった。

 今、日本では結核が再び感染数を増やしつつあるという。左巻健男氏の新著『世界を変えた微生物と感染症』(祥伝社)の一部を抜き出し、結核と医療の発展の歴史を概観する。

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沖田総司や石川啄木も命を落とす

 明治時代から第二次世界大戦の終了後まで、10万人あたり200人以上の命を奪っていた感染症が「結核」です。現在のがんと心疾患の死亡率の中間くらいで、1918年前後のインフルエンザ(スペイン風邪)流行時を除けば、死亡率の第1位を占めてきました。

©iStock.com

 古くは新選組の沖田総司や長州藩の高杉晋作、明治時代の文筆家である樋口一葉、石川啄木も20代で結核により命を落としています。正岡子規も30代で結核に倒れています。

 結核菌は1882年にロベルト・コッホが発見し、その発見により、コッホは1905年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。

 コッホは、1890年に結核菌から抽出したタンパク質を抗原とするツベルクリン注射を発案しました。当初の目的である結核の治療には役立たなかったものの、結核菌感染の診断に用いられるようになりました。

 第二次世界大戦前は安静にして栄養をとるしか対処法がなかったため、結核の静養を行なうサナトリウムが各所にありました。第二次世界大戦後には抗生物質の登場とともに外科手術が行なわれるようになり、昭和30年代以降は複数の抗菌剤(抗結核薬)を使用することでついに結核を治すことができるようになりました。それでも、治療期間は2~3年に及んだと言われています。

作品の中で描かれる結核

 若者の命を無残に奪う結核のむごさ、せつなさは、多くの作品を生み出してきました。有名なところではスタジオジブリの『となりのトトロ』(宮崎駿監督)でしょう。七国山病院のモデルとなった病院がある東京都東村山市の八国山緑地は、現在でも映画に描かれたような雑木林が残っています。

 堀辰雄の『風立ちぬ』は、堀本人が主人公であり、結核療養所であるサナトリウムが舞台です。宮崎駿監督が2013年に公開した同名の映画は、堀の『風立ちぬ』をモチーフとしています。