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source : 週刊文春WOMAN 2019夏号

genre : ライフ, ライフスタイル, 政治

私の田舎はものすごく貧しいところでした

〈秘書官が用意した取材資料には目を通さず、その上に両手をきれいに重ねて、質問者を見据える。朝晩100回ずつ、計200回の腹筋で鍛えているというだけあって肩幅は広く、胸板は厚い。くだけた口調になっても体は1ミリたりとも動かない。外国人だったら、きっと「武士」を連想するのだろうと思うような威圧感だ。〉

——プロフィールを拝見すると、二世でもなければ、東大卒のエリート官僚出身でもない。いまどき珍しい叩き上げの政治家なんですね。

菅 絶滅危惧種です(笑)。

——本当によくぞここまで到達されました。そのノウハウはいまの若者たちの参考にもなりそうですが、まずは地元の県立高校を卒業後、大学には進学されなかったと聞きました。

菅 ええ。ただ、私は昭和23年生まれですから、そういう時代ですよ。私の田舎(秋田県雄勝郡秋ノ宮村。現在の湯沢市)はものすごく貧しいところでした。中学の同級生は約120人いましたが、卒業と同時に半分は東京に集団就職し、残り約60人のうちその半分くらいは農業を継いだ。高校へ行ったのは約30人しかいなかったです。そして高校卒業後、たいていは農業を継ぐんですが、豪雪地帯ですから、結局冬には出稼ぎに行くんです。

 

 私は高校に進学しましたけど、冬はバスが走れなくなるので、学校近くの寮に下宿していましたね。

〈雄勝郡は、太平洋戦争中には多くの開拓団を満州に送った地域だ。終戦時には、混乱の中、多くの家が集団自決を余儀なくされたという。菅氏自身は戦後の生まれだが、両親と姉2人、親族は命からがら帰国している。

 戦時中は満鉄で働いていた父の和三郎氏(享年92)は、アイデアマンだったようだ。戦後、いちごの新品種を開発し、「秋の宮いちご」としてブランド化。上京しては営業して回った。その功績が認められ、雄勝町議会議員も務めるなど、後に地元の名士になっている。〉

高校の頃はふらふら、ふらふらして近くの川で渓流釣りばかり

——高校卒業後は農家を継ぐおつもりだった?

菅 長男ですから、継がなきゃマズイという雰囲気が脈々と流れているんです。でも高校の頃はふらふら、ふらふらしてました。漫画「釣りキチ三平」のモデルになった役内川が実家の近くにあったのですが、そこで渓流釣りばかり。当時、親父はいちごを作って組合長をしていましたけど、生計をきちっと立てられるようなものじゃなかったですよね。

——菅家の女性たちは勉強熱心ですよね。お母さまは結婚前は尋常小学校の教員をされていた。お姉さまは2人とも大学を出て、高校教師になりました。

菅 そうです。

——長男がふらふらしていることが許されたんでしょうか。

菅 長男坊は農家の後継ぎだから、最後は継ぐんだからというのがあるんです。