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「壊れていったのは自分の責任」デビュー25周年の華原朋美が語った小室哲哉への“感謝”

「彼の作った歌を歌うために一所懸命レッスンをしました」

2020/09/08
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 いまから25年前のきょう、1995年9月8日に歌手の華原朋美(当時21歳)がデビューシングル「keep yourself alive」をリリースした。プロデューサーは、このころTRFや篠原涼子、ダウンタウンの浜田雅功と組んだH Jungle with tなどの曲を手がけ、ヒットを連発していた小室哲哉(同36歳)である。華原と小室が恋愛関係にあることは、デビュー時点ですでに公然の事実となっていた。

華原朋美 2020年撮影 ©時事通信社

 華原は歌手デビュー前、遠峯ありさの芸名でアイドルとして活動していた。小室との出会いは、出演していたテレビの深夜番組の打ち上げで番組プロデューサーから、小室が彼女に興味を持っており、会いたがっていると伝えられたのが発端だという。さっそく華原は指定された店に行くが、小室にはすぐには会えず、ようやく夜が更けて初めてあいさつを交わした(※1)。このとき、これから何になりたいのか訊かれた彼女は「テレビに出たいです。女優になりたい」と答えたらしい。歌手になりたいという夢もあったが、すぐになれるわけもないと思っていたし、むしろテレビに出たいという気持ちが強かった(※2)。しかし翌日、小室から「声を聴いてみたい」と連絡があり、スタジオに呼ばれた。ちょうどglobeでデビュー直前のマーク・パンサーが曲を収録していたところで、ちょっとその曲を歌ってみてくれと言われる。小室はその場で彼女の歌うパートを書いてくれ、初めてレコーディングを体験した。

小室哲哉 1998年撮影 ©文藝春秋

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 2人が交際を始めるにはさほど時間はかからなかったらしい。華原の回想では、デートで行くのはいつもカラオケ店だった。そこでいろんな曲を歌ううち、小室から「歌手になったらいいよ」と言われたという(※1)。べつの著書では、歌い終わって小室を見ると、彼は涙を流しながら、「すごくいい声だね。何オクターブ出るのかな」と言ってくれたとも語っている(※2)。ここからはとんとん拍子で、改名のうえ、小室が設立したレーベルの第1弾アーティストとして歌手デビューが決まる。交際がすっぱ抜かれたのはデビューの3ヵ月ほど前だった。このとき写真週刊誌の取材を受けた小室は、《実は、彼女のデビューの際、できたら、二人の関係を戦略的に使いたいと思ってたんです。彼女がある程度売れたら、『歌詞に出てくる恋人は日本一のプロデューサー』みたいなカンジで。初めて、自分のプライベートをネタにしてみようかなと。今出ると早過ぎですけどね(苦笑い)》と語ったが(※3)、どこまで本気で考えていたのだろうか。いずれにせよ、小室との関係から、華原ががぜん注目を集めたことはたしかだった。