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胎児に全前脳胞症の診断 中絶を選んだ妊婦が明かした「絶対に人に言ってはいけないこと」

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genre : ライフ, 医療

胎児に全前脳胞症の診断 中絶を選んだ妊婦が明かした「絶対に人に言ってはいけないこと」

 第2子妊娠中の妊婦(40代)が、妊娠17週時の妊婦健診で実施した超音波検査で胎児に脳の病気の疑いがあるとされ、1週間後に再診となった。再診を受けた18週でも、所見に変わりはなかった。産科医は、妊婦と夫(40代)に対して、胎児の頭部の画像を示しながら、「正常な大脳はこのような形ですが、赤ちゃんの場合、脳が左右に分かれず育たない状態になっています。脳の中の黒く映っている部分が多いのはそのためで、全前脳胞症という状態であると考えられます」と話した。この病気の原因ははっきりわかっておらず、精神・運動発達の遅れや成長障害などが表れる。特徴的な顔貌になる子もいて、障害の程度や命の長さには個人差もある。

 産科医は、「今後、詳しい検査をして重症度を判断していくことになりますが、生まれてみなければわからないことも多いです。私たちの経験では、この病気の診断を受け、自宅に帰ってご家族と生活されているお子さんもいますし、短命だったお子さんもいます。一方で、妊娠を中断する方もいます。中絶は可能な時期が決まっているので、その場合には早めに決断する必要があります。来週、予約を入れておきますので、ご夫婦で話し合ってみてください」と伝えた。

胎児に全前脳胞症の診断 中絶を選んだ妊婦が明かした「絶対に人に言ってはいけないこと」 夫婦で話し合った末、1週間後の外来で、妊婦は「今回は中絶したい」と伝えてきた。

夫は会社勤務で、妊婦は専業主婦。2年前に、近隣に独居していた夫の母が脳 梗塞(こうそく) で倒れ、その後は、一緒に住んでいる。片 麻痺(まひ) があり、日常生活では一部、介助が必要であった。小学2年生になる娘の子育てもある。そのうえ、介助や介護が必要な子どもを育てるのは、今の生活状況では難しいとの判断だった。

 妊婦は入院し、翌朝の午前8時から、中絶に必要な薬剤の投与がはじまった。夫は、娘の世話で立ち会うことはできなかった。夕方近くになり、妊婦は陣痛のような痛みを自覚するようになったが、会話できる余裕があった。担当の助産師に、「姉になることを楽しみにしていた娘に、どう説明したらよいか」「今回はあきらめると言ったら、義母からは『こんなことになったのは、介護のせいじゃないか』と泣かれてしまった」と話した。夫とは何度も何度も話し合ったが、障害のある子どもを育てていくのが不安で、どうしても出産しようという決断ができなかったという。

 痛みは強くなっていったが、思ったほど流産は進行していかなかった。「赤ちゃんはもっと苦しいよね」「こんなこと(中絶)しているのだから、私に痛いって言う資格はないのに、言ってしまう」……と、涙を流しながらこらえていた。

できるだけ一人になる時間が少なくなるように

 長年、このようなケースのケアにかかわってきた助産師が語ってくれた事例です。中絶という経験が女性にもたらす影響は、計り知れないと改めて考えさせられました。助産師は、できるだけ妊婦が一人になる時間が少なくなるよう、腰をさすって付き添いました。流産の進み具合を説明したり、「痛いと言っていい」「泣いていい」「胎児のことを 想(おも) う気持ちそのものが、胎児と一緒にその痛みに向き合っていることなのではないか」……と話しかけ続けたそうです。

「その言葉は私の中にしまいますね」

 4時間くらいの間、1~2分ごとに痛みがやってくる状況が続いた後、破水して人工流産に至りました。処置後、妊婦はしばらく赤ちゃんを抱っこし、家族と似ている所を探して過ごしていました。赤ちゃんが一時、 分娩(ぶんべん) 室から出て、助産師が妊婦への処置をしている時、「これは絶対に人に言ってはいけないと思っていたんだけど、言ってもいい?」と妊婦が聞いたので、何かと尋ねると、「死にたい」と言って涙を流したそうです。

助産師は、今まで妊婦が語ってくれた思いから、「死にたいくらい、自分を責める気持ちでいるのだ」というメッセージだと受け取り、しばらく体をさすって、「その言葉は私の中にしまいますね」と伝えました。

 流産後、母体の異常出血がないか、2時間程度、分娩室で経過を観察し、身体を清潔にしたりしていました。本人の希望があり、病室に戻るまで赤ちゃんと添い寝をして過ごしました。「こんなことをする私は、病院の人にもっと冷たくされると思っていた。『痛いのなんて一人で耐えろ』と言われると思っていた。でもみんな優しかった。ありがとう」と言い、病室へ戻ったそうです。それから、赤ちゃんのためにしてあげられることを一緒に考え、在胎12週以降の死産児には火葬が必要のため、折り紙でつくったおもちゃを棺に収めることになりました。