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「森さんでいいんじゃないか」で有名に…“強すぎる参院”を作った村上正邦、88歳で逝去

近年は「森を総理に推したのは大間違いだった」と語った ©共同通信社

 自民党参院議員会長や労相を務めた村上正邦氏が亡くなった。享年88。参院で自民党が過半数割れしたことを逆手にとり、参院の地位を高めて「強すぎる参院」とまで呼ばれるほどにした第一人者だった。

 両親は愛媛県出身で、「村上水軍」の末裔とされる。会社員から転じて玉置和郎参院議員の秘書となり、1980年に宗教法人「生長の家」の推薦を得て、参院全国区で初当選。82年の自民党総裁選では、難航した中川一郎氏の推薦人集めに、最初に協力してくれたのが村上氏だった、と当時中川氏の秘書だった鈴木宗男氏が明かしている。村上氏と鈴木氏は秘書時代からの仲間でもあったのだ。

 真骨頂を発揮したのが95年、自民党参院幹事長に就任してからだ。過半数割れした参院で、それまでも気軽に顔を出していた参院野党の各会派に人脈を持つ村上氏は、衆院をライバル視し、しばしば衆院の提案を蹴飛ばし、ひっくり返した。オウム真理教事件が次々と明るみに出た当時、村上氏は「法皇」「尊師」と呼ばれるほどの力を持った。

 当時の加藤紘一幹事長、野中広務幹事長代理とは何となくそりが合わず、何度もやり合った。99年には自らが会長になっていた旧中曽根派と亀井静香氏のグループを合体させて「志帥会」を結成。参院議員ながら初代派閥会長に。

 タカ派の叩き上げで面倒見はよかった。菅義偉首相が好むパンケーキで有名になったホテルニューオータニのSATSUKIで、毎日、朝食をとりながら担当記者と懇談するのは有名だった。