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連載完全版ドキュメント・北九州監禁連続殺人事件

2020/10/06

genre : ニュース, 社会

松永弁護団の意見陳述「人工呼吸を一生懸命にした」

 続いて弁護団の意見陳述が行われた。その内容は先の「釈明要求書」にあったように、勾留事実の不明確性を訴えるものだ。それらは割愛するが、弁護団の作成した「意見書」のなかに、松永の説明をもとに作成したと思われる、由紀夫さんの死亡前後の状況が記されていた。後の裁判では、事実ではないと否定される内容が多々含まれているが、当時の松永の主張を知るために引用する。

〈由紀夫は、死亡する前日の午後10時ころから、当日の午前3、4時までの間、被疑者(松永)及び純子と一緒に飲酒した。由紀夫は、ビール4、5本、日本酒2合、焼酎2合くらいを飲んでいた。

 その後、由紀夫は、浴室で就寝し、午前7時ころ起床し、ラジオを聴いたり週刊誌を読んだりしていた。

 夕方になり、由紀夫は、甲女(清美さん)と風呂掃除をしていた際、浴室で足を滑らせてころんで左頭部を壁に打って倒れ、いったん立ち上がったものの、またすぐに倒れ、いびきをかき出した。そこで、被疑者らは、台所に座布団を用意し、そこに由紀夫を寝かせた。被疑者らは、由紀夫は寝ているものと思っていたが、30分くらいでいびきが止まり、おかしいと思った被疑者が確認すると、由紀夫は呼吸していなかった。そこで、被疑者は、いわゆるマウスツーマウスの方法で人工呼吸をし、純子が心臓マッサージや手足をさするなどしたが、結局由紀夫が息を吹き返すことはなかった。被疑者は、人工呼吸を一生懸命にしたため、目の中に内出血ができた。

©️iStock.com

「死んだことが納得できずに通電」「水葬の意味で骨は海に散布」

 自分と純子は指名手配中であり、由紀夫の死体の処理に困り、当初、(北九州市小倉北区)三萩野の病院に死体を運んでから、純子と逃走しようと話し合ったものの、甲女が一人残されるのを嫌がったことから断念し、死体は解体することとした。解体の前に、被疑者が由紀夫の瞳孔、呼吸、心音で死亡を確認した。純子は、由紀夫が死んだことが納得できずに、由紀夫の死体の手足や心臓に通電した。甲女は、父との別れを惜しむ意味で、由紀夫の死体解体を手伝った。解体の際、由紀夫の脳を見たところ、左側に出血の跡のように変色して黒ずんでいたのが見えた。水葬の意味を込めて、骨は海に散布した。純子とは、「時効になれば墓を竹田津(大分県国東市)に作ろう」と話していた。毎年盆には風呂場で供え物して由紀夫を供養した〉

©️iStock.com

 松永作の、まさに自身の“殺人”への関与を巧妙に否定したストーリーである。なお、ここで説明された状況について、同意見書内には、〈検察官の取調べでは、「由紀夫は、朽ち果てて倒れたか、清美が叩いて倒れたか、滑って壁に頭をぶつけて倒れたかが問題だ。」などと言われている〉との、松永が検察官に言われたとされる文言も加えられている。それらからは、自作のストーリーを正当化しようと腐心する、松永の企みが透けて見える。

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