昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

特集観る将棋、読む将棋

羽生善治九段50歳に “元祖天才”が3年前に語っていた「藤井聡太さんの弱点が見えない」

2020/09/27

 羽生善治九段は、9月27日に50歳の誕生日を迎えた。22日には王将戦挑戦者決定リーグの開幕戦で藤井聡太二冠(18)と対戦し、羽生九段が公式戦で初勝利を収めた。その前週、羽生九段は竜王戦挑戦者決定三番勝負の第3局で丸山忠久九段(50)を破り、前人未到のタイトル通算100期をかけて、10月開幕の七番勝負で豊島将之竜王(30)に挑む。

「すごい人が現れたな、と思います」。3年前、詰め襟の学生服を着た14歳の少年を目の前に、棋界に君臨する羽生三冠(当時)はそう語った。史上最年少でプロ棋士になると、デビューから29連勝という新記録を達成、一躍、時の人となった若き天才・藤井四段(当時)を、元祖天才はどう見ていたのか。「文藝春秋」2017年8月号掲載のロングインタビューの一部を特別に公開する。※肩書・段位・年齢などは当時のもの。

取材・文=北野新太(報知新聞記者)

9月22日、第70期王将戦挑戦者決定リーグ開幕戦。感想戦で対局を振り返る敗れた藤井聡太二冠(左)と羽生善治九段 ©時事通信社

◆ ◆ ◆

「すごい人が現れたな、と思います」

 終局後の羽生善治には、3つの顔がある。勝って険しい顔をする羽生。敗れて穏やかな顔をする羽生。稀なのは、敗れて険しい顔をする羽生である。

 あの時、彼は敗れて険しい顔をしていた。屈辱を直視し、雪辱への闘志を早くも燃やし始めたような表情を浮かべていた。そして言った。

「すごい人が現れたな、と思います」

 詰め襟の学生服を着た14歳の少年を目の前にして言ったのである。

 将棋の史上最年少棋士・藤井聡太四段が公式戦29連勝して、歴代新記録を樹立した。列島を狂騒に巻き込み、新聞を開けば、テレビを点ければ、ネットにアクセスすれば藤井が現れる。将棋の棋士に対する熱狂としては、1995年度に羽生が七冠制覇を成し遂げた時以来だろう。

羽生善治氏 ©文藝春秋

 昨年10月、藤井は養成機関「奨励会」を突破し、棋士になった。1954年に加藤一二三(ひふみ)現九段が樹立した最年少記録(14歳7カ月)を62年ぶりに塗り替える14歳2カ月での四段(棋士)昇段だった。そして12月、今や史上最年長棋士となっていた加藤とのデビュー戦を勝利で飾り、連勝街道を走り始める。

 11連勝してデビュー後連勝の新記録を打ち立てると、疾走は加速する。半年間にわたって勝ち続け、87年度に神谷広志現八段が樹立し、長らく「不滅」と言われた記録を30年ぶりに超えてしまったのである。

 白星をひとつ積み上げる度、報道は過熱していった。発火点となったのは、4月23日にインターネットテレビ局「AbemaTV」で放送(実際に対局したのは2月)された非公式戦「藤井聡太四段 炎の七番勝負」の最終局で羽生善治三冠に勝利したことだろう。棋界で唯一、国民が共有する尺度と言える羽生を破ることで、藤井の存在は将棋界の壁を越えていった。

中学生棋士としてデビューした2人

 藤井聡太とは何者なのか。

 同じように中学生棋士としてデビューし、46歳の今も頂点に君臨する羽生にインタビューをし、藤井について尋ねた。

 まず「すごい人が現れた」という言葉について。通常の感想戦(対局後に両者が勝負を振り返り、互いの読み筋などを検討し合う時間)ではなく、テレビ棋戦でアナウンサーから質問されたシチュエーションとはいえ、目の前で相手を称える文化は将棋界にはない。なぜあの異例の言葉が口を突いて出たのか。

藤井聡太氏 ©文藝春秋

「実は(七番勝負が)5勝1敗で最終局を迎えたことを対局直前に知って本当にビックリしたんです。あのメンバーなら、ファンの方も予想されたようですけど、新四段が普通に戦えば1、2勝がいいところだと思います。しかし、デビュー間もない藤井さんが5勝したと聞いて、心底驚きました。だから最後は貫禄を示した方が七番勝負の締めくくりとしては良いんじゃないか、という思いがありました。でも、私と指した将棋でもこちらの形勢が良くなったことは終始ありませんでした。互角に近い局面くらいはありましたけど、良くなったことはなかったです。だからすごいな、と思ったんです」

 藤井は七番勝負の第2局で永瀬拓矢六段に敗れたものの、増田康宏四段、斎藤慎太郎七段、中村太地六段、深浦康市九段、佐藤康光九段、羽生に勝っている。いずれも各世代を代表する実力者ばかりだ。彼らを相手に6勝1敗の結果を残した藤井の将棋とは、何がそんなに「すごい」のだろう。