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特集観る将棋、読む将棋

2020/09/27

「そうですね、今まで中学生で棋士になった人は5人いますけど、さすがに14、15歳の時だと、詰みはすぐ見えるけど序盤は苦手、というように、ここはすごく強いけど、ここはまだ弱点、ここは粗削り、という部分が必ずあります。みんな弱い部分を持ちながら年齢や経験を積んで修正し、全体として強くなっていく。でも、彼の場合は現時点で足りていない部分、粗削りな部分が全く見えません。あの年齢でそのような将棋を指していることは驚くべきことだと思います。だから勝っているんでしょうけど……と言っちゃうと身も蓋もないですね(笑)」

「良い子は真似しちゃダメですよ」

 藤井将棋の完成度を示す時、実は理想的なサンプルになるのが羽生戦である。どんな一局だったか振り返ってみたい。

 まず必ず言及されるのが序盤、先手の藤井が右の桂馬を中央まで跳ね、攻めを仕掛けていった局面だ。桂馬はトリッキーな動きをするものの、後退できず小回りも利かないため捕まりやすい。跳ねる時に細心の注意が必要になるのは素人もプロも同じだが、藤井は大胆に仕掛けた。コンピュータソフトが高く評価する指し方という裏付けがあったからだ。

「現在のトレンドになっている局面ですね。ソフトが示さなければ深く研究されることのなかった仕掛けで、パッと見では無理な攻めなんです。『桂の高跳び歩の餌食』という格言があって、桂馬はすぐに跳んじゃダメですよ、歩に取られてしまいますよということなんですけど、最近はピョンピョン跳んでしまっている(笑)。将棋のセオリーが変わってきているんです。桂馬を取られても、なぜか有利になっている。昔だったら『良い子は真似しちゃダメですよ』と言われるような指し方です」

©文藝春秋

 次は、駒がぶつかり始めた中盤の局面。盤上ではなく駒台に注目すべき点があった。羽生は角と桂馬を持ち駒にしているのに対し、藤井には金と四枚の歩しかない。「駒得は裏切らない」の格言があるように、より強い駒を多く持つ方が有利に勝負を進められるのが将棋の常識だ。ところが、藤井は金と引き換えに角と桂馬を渡してでも羽生を「歩切れ(持ち歩がない状態)」に追い込むことを選んだ。歩は最も弱い駒だが、棋士が指す将棋では攻守の技を掛ける時に最も重要な駒になる。

「私の感覚だと、角桂と金の交換は相当に得な気がします。しかし、あの局面で駒損をしている方が戦えてしまうのが現代感覚なんですね。前の世代はあのような形は選びませんでしたが、指されてみるとまとめにくい。指していて驚きでした。最近のスピード重視の傾向が顕著に現れた将棋だったと思います」

「どう指すかという羅針盤のない局面だった」

 結果、角二枚を真横に並べるアンバランスな陣型を敷くしかなかった羽生は、徐々にペースを握られていく。

「将棋には長い歴史がありますけど、あのような局面は一度も指されなかったですし、研究をしたこともなかった。どう指すかという羅針盤のない局面だったんです」

©文藝春秋

 しかし、藤井は羅針盤を持たないまま乗り込んだ船を現代的な感覚によって乗りこなしていく。

「局面をうまく吸収して、感覚的なもので対応できてしまっているということだと思います」

 結局、一度も好機をつかむことなく終盤を迎えた羽生は、局面を複雑化し、相手のミスを誘いながら隙を突いて逆転を狙う独特の勝負術を仕掛ける。いわゆる「羽生マジック」を狙いにいった。既に1分将棋(持ち時間を消費し、1分以内に次の手を指さなくてはならない状態)に突入していたためミスを犯しやすい状況だったが、藤井は罠には嵌まらずに最善手を指し続け、111手で羽生を投了に追い込んだ。