文春オンライン

竹内結子さんが語っていた“母からの言葉と家族観” 「泣いたって状況は変わらないのよ」

source : 文藝春秋 digital

genre : エンタメ, 芸能, テレビ・ラジオ, 社会

 女優の竹内結子さんが、9月27日に亡くなった。40歳だった。所属事務所は30日、公式サイトで家族葬が執り行われたことを発表し、「あまりに突然の信じ難い出来事に、所属タレントや社員は未だ戸惑いの中にあり、この事態を到底受け入れられる状態ではなく悔やみきれない思いであります。しかしながら竹内結子は弊社にとって、永遠にかけがえのない大切な所属女優であることに変わりありません。これからもその存在に寄り添っていく所存でございます」と綴っている。

 かつて、取材や撮影などを通じて竹内さんの姿や言葉にふれた人たちへ話を聞いた。

竹内結子さん ©getty

◆ ◆ ◆

ADVERTISEMENT

「私にとって仕事をするのは当たり前のこと」

「竹内結子さんを取材したのはずいぶん前で、記憶も断片的ではあるのですが、あの日曜の朝、テレビのニュース速報を見て真っ先に思い出したのが、白を基調としたハウススタジオで、優しい光に包まれて笑顔でお話しされていた竹内さんの姿です」

 こう話すのは、ライターの今富夕起さんだ。竹内さんは2012年から約2年間、「CREA」で「クレア・ミューズ」として誌面を飾っていた。

「竹内さんは、いつお会いしても印象の変わらない方でした。朝でも午後でもフラットな状態で、どのスタッフにも笑顔で『おはようございます』と挨拶されていました。インタビューのときも、マネジャーなどの近しいスタッフと話している延長線上といった雰囲気で、こちらとの間に壁を作らない方でした。

『一生分のお金のつくり方』という特集に登場いただいた時は、女優さんにはちょっと聞きづらいテーマともいえますが、どんな質問にも窮することがない竹内さんなら『うまく答えてくださるだろう……』と。地に足がついた、ごく普通の感覚をお持ちの方でもあるんだなと思ったことを覚えています」

〈高校生になったらお小遣いは自分で稼ぐ、という方針の家で育ったので、私にとって仕事をするのは当たり前のこと。それがベースにありつつ、年1回、1週間ほど行く海外旅行という贅沢が、また1年、仕事を頑張ろうという動機にもなっています。極論かもしれないけれど、贅沢も一生仕事を続ける上での必要経費なのかもしれないですよね〉(「CREA」2013年2月号)

『あすか』主演当時の竹内結子さん(2000年) ©時事通信社

 埼玉県出身の竹内さんは、1995年、中学卒業後に原宿でスカウトされて芸能界入りした。デビュー間もない頃にはアルバイトの経験もあるという。1999年にNHK連続テレビ小説『あすか』のヒロインに3度目のオーディションで抜擢されて以来、ひたむきに女優業に打ち込んできた。

 仕事の現場で納得できないことがあると、負の感情が顔に出てしまったり、映画の撮影の時、泣きながらスタッフに抗議したこともあるという。