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総理大臣も感染していた…磯田道史が語る「“大正のパンデミック”と日本中枢の混乱」

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 10月2日、米国トランプ大統領の新型コロナウイルス感染が明らかになった。大統領選の投票日まで約1カ月だけに、世界で大きく報じられた。

 ウイルスは社会的弱者に容赦はないが、「時の権力者」にも遠慮なく感染する。いや、人にたくさん会わねばならない権力者は、いつの時代も、ウイルスに感染しやすかった、といってよい。100年前のスペイン風邪の時も、そうであった。

“インフルエンザ患者”としての原敬

〈総理大臣も感染しました。当時の総理は原敬です。彼は『原敬日記』を残しています。この日記は極めて詳細で、大正の政治史はこの日記なしでは書けない一級史料ですが、これを「インフルエンザ患者としての原敬」という視点で読むと、また新たな姿がみえてきます〉

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 こう語るのは、歴史家の磯田道史氏だ。

磯田道史氏

〈原は、スペイン風邪の本格的流行が始まった秋に、第19代の内閣総理大臣になりました。大正7(1918)年9月29日、立憲政友会の総裁として「日本初の政党内閣」を組織しました。日本史に残る大事業に乗り出したまさにその時、パンデミックが起きていました。そして原自身が「流行性感冒」にかかってしまうのです〉

支援目当てに「3密」会合をハシゴ

 トランプ大統領の感染時期や場所をめぐっては、いまメディアで盛んに報じられているが(出席者に陽性者が多い「9月26日の連邦最高裁判事を指名した記者会見」が疑われている)、興味深いのは、原敬の感染前後の行動も『原敬日記』から詳細に辿れることだ。

〈大正7年10月23日の項に、《閣議を官邸に開く》とあります。(略)見逃せないのは、この後の原の行動です。

《交詢社の晩餐会に招かれ閣僚と共に出席せり》

 交詢社は、明治13年に結成された社交クラブです。福沢諭吉が提唱し、慶應義塾の関係者や実業家が多い、親睦団体でした。「政党内閣」の応援者も多く、原としては、軽視できない会合です。

©iStock.com

 問題は、この時、スペイン風邪の「第2波」が押し寄せていたことです。会員限定の社交クラブですから、当然、密閉空間です。多くの会員が一堂に会して食事をとります。名刺交換もさかんになされたかもしれません。原は、連日のように午餐会、晩餐会に出席し、まさに密閉、密集、密接の「3密」のなかを駆けまわっていました。支援目当てに、政治家が財界人の宴会をハシゴして回る今も変わらぬ姿です〉