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「これまでは子供たちのことや、『ヨコミネ式』を信じて支えてくださる方が心配で、DVが知れたら教育者として問題になると思い自分の中にとどめてきました。しかし、私や家族の前での彼は、父親でもなく教育者でもありませんでした。

 私や自分の子供たちを理不尽に殴りつけ、蹴り上げるあの人は『俺がルールだ』『俺に逆らうな』『俺の言うことを聞け』『俺の機嫌を損ねるな』が口癖です。結婚していた期間の大部分が暴力に怯える日々でした。愛人問題を家庭に持ち込んだこともあった。離婚後も不誠実な対応が続いていて、いま吉文氏を相手取って不貞行為の慰謝料などを巡って裁判を起こす準備も行っているところです」

吉文氏の運営する施設の前にあった看板 Ⓒ文藝春秋

園長になった頃からDVがエスカレート

 A子さんによると、結婚当初から壮絶な家庭内DVが始まり、吉文氏が保育園運営に参入し、1983年に園長に就任した頃からエスカレートしたという。

「保育園を始めて2、3年が経って彼が園長になった頃、暴力が酷くなりました。たとえば、私が朝から沈んだ顔をしていたのかもしれませんが、返事がよくなかったようで『お前みたいなバカな女は何もできんくせに!』と言われてビンタされる。最初の頃は平手でビンタでした。そして、『なんで俺が平手で打つかわかるか。俺がげんこつで叩けば頬骨が折れる。それを避けるために平手で打つんだ!』と怒鳴るのです。

 平手で叩かれても、頬は腫れ上がりました。彼は柔道の有段者で、自衛隊では銃剣道もやっていた。髪の毛を掴まれて投げ飛ばされ、お腹や脚を蹴られることもありました。ひどいときは週3、4日、気が済むまで暴力を振るい続けました」

ヨコミネ式教育法ウェブサイトより

 当時のA子さんの異変を、学生時代からの友人女性が次のように証言する。

「A子さんとお昼ご飯を食べた時のことでした。待ち合わせ場所に現れた彼女の左腕が真っ青なんです。『どうしたの?』と聞いたら、旦那さんに投げ飛ばされたと言う。旦那さんは明るくてすごく感じのいい人という印象があったので、私も暴力を振るうことなど最初は信じられなくて、『あなたが悪いんじゃないの』と言ってしまうほどでした。

 その後も、DVについての話をA子さんから聞いていました。でも、今でこそDV被害者を守る保護施設があったりしますが、当時はそういった環境は整っていない。A子さんは何度も家から逃げ出していましたが、結局は『子供がいるから帰る』と戻っていく。次第にA子さんは『自分が悪いから』『自分がバカだから』と思い込んでしまい、どんどん萎縮していきました」