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「ある日、彼が『(鹿児島県の)霧島で研修がある』と言って出て行ったので、直感で今日は絶対にB子と2人で会うと気付いた。ほどなくして、B子が急に『今日は用事があるので帰ります』と言い出して早退。私は無我夢中でB子の車を追跡しました。B子の車を追っていくと、保育園から30キロ以上離れた宮崎県にある都城のホテル街にたどり着きました。彼女の車を見失い、ホテルの駐車場をあちこち探していると、都城からやはり約30キロ離れている霧島へ出張に行ったはずの吉文の車が駐車されていた。

 フロントで自分は妻であると説明すると、ホテルマンは宿帳を見せてくれました。そこには彼の筆跡で『横山吉文』という偽名が記されていたのです。『1人で泊まっていますか?』と聞いたら、ホテルの方は『女性と2人です』と。『部屋の扉を開けさせてください!』という言葉が喉まで出ましたけど、暴力を振るわれるのが怖くて、そんな勇気はありませんでした」(A子さん)

吉文氏が運営する施設 Ⓒ文藝春秋

 吉文氏とB子の“不適切な関係”は保育園職員にもバレて、あっという間に保育園内に広まり、保護者らの猛反発を招いた。1987年には、この不倫沙汰が大問題となり保護者会も開かれ、吉文氏は保育園の園長の座を退くことになった。吉文氏の後任としてA子さんが園長に就任したが、その後も吉文氏の女癖は収まるどころか、ますます酷くなっていったという。

「お前が離婚しても、そのあと生活できるわけがない」

 吉文氏の長女が語る。

「週末になると、知らない女性の子供を母が自宅で預かり、その子の母親と父が2人でどこかへ出かけて行くことが頻繁にありました。後日、その女性が彼に書いた手紙が家で見つかり、『あなたが抱き寄せてくれたけど、子供がいたのであなたの要望に応えられなかった』ということが書いてあった。

横峯吉文氏と子供たち

 家で母が問い質しても、父は『俺はお金で全部解決するから誰も文句を言う人はいない』『離婚して俺から慰謝料を取ろうと思っても100万か300万しか取れないから、そのあと生活できるわけがない』と常に脅しのように言われていました」