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大物アスリート・瀬戸大也「お迎え前」不倫、鈴木凉美が考える“ツッコミづらい”理由

2020/10/11
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 不倫報道には二種類ある。面白いものと面白くないものだ。

 どちらにせよ巻き込まれた家庭や当事者には、時に不当なほどのダメージや少なくとも傷ができる。個人的には傷つきというのは必ずしも人生や人間関係において、回避し続けなければならないものとも思わないし、そもそも現代のカップル間に生じる歪みやトラブルというのは片方の非がどれだけ明らかでも、どれだけ明確に悪を指摘できても、自由恋愛と自由な尺度での見極めを重ねて選んだ歴史を感じるので、外野による代弁や糾弾には限界がある。

 しかし、面白い/面白くないと感じるこちらの視点は、こちらが想像できるその傷の大きさやその不倫の潜在的な暴力性と無関係ではない。

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 先日、五輪内定中である競泳選手の不倫が報道され、スポーツ界で波紋を呼んでいる。スポーツ界でとわざわざ書くのは当然、一般社会で特に話題になっていないからで、特に話題になっていないのは当然、そんなに面白くないからだ。

 しかし話題の小ささと、当事者たちの傷の大小は比例するわけではない。むしろ、話題としてつまらなく感じる不倫が、当事者たちのダメージだけが大きいことは往々にしてあり、そこにこそ、不倫の品格、不倫のセンスがあらわれる。

不倫が発覚した瀬戸大也 ©getty

話題にしやすい不倫、話題にしづらい不倫の差は

 面白みを感じさせる要素はいくつかある。代表的なところでは、誰が不倫するのか、誰と不倫するのか、どこでどんな不倫をするのか、そしてどんな言い訳を放り出すのか、週刊誌がどんな見出しをつけるのか、と言ったところだろう。

「誰が」不倫するのか、は当事者にとっては自分のパートナーが、という事実が共通してあるだけで、クリアに外野向けの情報である。不倫報道の多くは、お茶の間のアイドルが、往年の人気女優が、「五体不満足」の作者が、というこの点に面白みを見つけるものだが、これは当該家族への傷にはあまり関係しないし、センスが問われるところでもない。むしろ週刊誌記者側のセンスが光るところでしかない。