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全住民退去もダム計画が消滅…水没しなかった「悲哀の廃村」無人化から“35年目の世界”

2020/10/24

genre : ライフ, 社会, 歴史

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 母屋のほか、離れや蔵が設けられている家屋が多く、先祖代々ここで暮らしてきたことがうかがえる。時代を感じさせる建物や、家の前にはレトロな残留物が転がっていたりして、見どころがとても多い。半壊してしまっている建物から、大正3年の新聞が顔をのぞかせていて、つい見入ってしまった。

建物からも時代が感じられる
既に崩れてしまっている建物も

神社に残された“200年以上前の残置物”

 川沿いの一本道を上流から下流側に進んでいくと、左手にお寺と神社が並んでいた。双方とも廃村の際に正式に移転したようだが、神社には狛犬が鎮座していた。神社には〈寛政九年 愛岩山 大工長兵衛作〉と書かれた木の部材が落ちていた。寛政九年ということは西暦1797年なので、200年以上も前ということになる。直前に何かの工作物が朽ちて、この文字が露出したようだ。

 墨で書かれたその文字は、すぐに消えてしまうだろう。大正3年の新聞と同様、廃墟にある残置物との出会いは、まさに一期一会だ。どんなに貴重な物であっても、建物とともに自然と朽ちていってしまう。それは、保存も解体もされず、放置されている廃墟の宿命といえるだろう。

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1797年に書かれたと思われる部材。〈寛政九年 愛岩山 大工長兵衛作〉と読める
公園。手前に滑り台、奥にブランコがある

 こうした廃集落を訪れる際、部外者である私は、傍観者に徹するよう努めている。自然に朽ち果て、あるいは人為的に取り壊される廃墟を、ただ眺める。破壊しないのはもちろんのこと、そこにある物を動かしたりせず、触ることも極力控えるように気をつけている。

慎重に川を渡った先には……

 集落内を巡り、残すは川の向こうにある一軒のお宅だけになった。川を渡る橋は既に朽ちていたため、やむなく靴下を脱いで川に入る。

向こう岸へ渡る橋は既に朽ちていた
冷たく、透き通る水の中を行く

 初秋だったが思いのほか水は冷たく、寒さに震えた。水深は浅いものの流れが早く、川底には苔が生えていて滑りやすい。ゆっくりと慎重に、対岸へ渡った。