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「泣いたのは初めてです…」“世界一貧しい大統領”ホセ・ムヒカ85歳の言葉に日本人通訳が嗚咽した日

“元ゲリラ闘士”南米元大統領の言葉は、なぜ日本人の心に響くのか

2020/10/28

source : 文藝春秋 2016年6月号

genre : ライフ, ライフスタイル, 政治, 国際

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「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

 2012年6月、ブラジルのリオデジャネイロで開催された国連の「持続可能な開発会議」(以下リオ会議)。世界の首脳・閣僚が参加し、自然と調和した人間社会の発展や貧困問題が話し合われたが、演壇に立った南米のある大統領のスピーチが、世界中の感動を呼んだ。8分間の熱弁が終わると、静まり返っていた会場は沸き立ち、聴衆の拍手は鳴り止むことはなかった。

ウルグアイ第40代大統領ホセ・ムヒカ氏 ©文藝春秋

 ウルグアイ第40代大統領ホセ・ムヒカ氏(85)は、この演説をきっかけに一躍時の人となり、質素な暮らしぶりでも注目された。大統領公邸には住まず、首都郊外の古びた平屋に妻のルシア・トポランスキ上院議員と二人暮らし。古い愛車をみずから運転し、庶民と変わらない生活、気取らない生き方を貫いた。そしていつしか尊敬を込めて、「世界で一番貧しい大統領」と呼ばれるように。国のトップになっても給与のほとんどを寄付していたことでも知られるムヒカ氏が、2020年10月20日、上院議員を辞職した。2015年に大統領職を退任後、上院議員として活動していたが、この日、高齢と持病を理由に引退を表明したのである。

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 ムヒカ氏は議会で「慢性的な免疫疾患があり、新型コロナウィルスの流行で私自身の健康が脅かされている、それが直接的な引退の原因だ。議員の仕事は人と話し、どこへでも足を運ぶこと。しかし感染の恐れでそれもできなくなった」と説明。「政治を捨てるわけではないが、第一線からは去る」と述べ、さらに後進に、「人生の成功とは、勝つことではなく、転ぶたびに立ち上がり、また進むことだ」とメッセージを送ったのである。

 2015年の夏。文藝春秋の大松芳男編集長(当時)と打ち合わせをしていたときに、ムヒカ氏の名前があがった。2014年末にジャーナリストとして独立した私は、以前から行きたかったブラジル、アルゼンチンなどの南アメリカ諸国へ旅立った。約2か月間ひとり旅を続け、帰国してから、その体験をもとに東京スポーツで「南米放浪記」という記事を書いていた。地球の反対側にある南米は日本人にとって異世界で、スペイン語やポルトガル語しか通じない。快適とはいえない旅だったが、南米の風土、気質を存分に味わえた。そして私のテーマは日本人移民の足跡をたどることだった。

ホセ・ムヒカ元ウルグアイ大統領と中村竜太郎氏 ©文藝春秋

 その内容を面白がってくれた大松氏が、「竜太郎さんは南米に詳しいから、ムヒカ大統領のインタビューやろう」と提案してくれたのだ。だが、お恥ずかしい話、そのときまで彼のことは知らず、リオ会議のスピーチをもとにした絵本『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』(汐文社)が15万部超のベストセラーとなっていることをあとで知った。私はウルグアイ在住の人にかけあい、自力で大統領官邸にオファーを続けた。しかし返答がなく、途方に暮れていたところ、2016年に吉報が舞い込んできた。『ホセ・ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領』(角川文庫)の刊行に合わせ、初来日が実現したのだ。そして4月6日、角川書店の会議室でインタビューできることになったのである。