ミレーの「種をまく人」は岩波書店のマークでおなじみですね。農夫が斜面を大股で下りながら、左手に種の入った袋をかかえ、右手で掴んだ種をまいている。
坂の風景であることから、当時ミレーが住んでいたフランス・バルビゾンの平地ではなく、彼の故郷・グレヴィルの丘を描いたものと推測されています。遠景では二頭の牛を使って農夫が耕し、鳥たちが種をついばもうと集まっています。広々とした大地で堂々と逞しく働く農夫の姿は、おおかたの現代人には厳かで好ましいものとして映るでしょう。
ところが! 1850-51年のパリのサロン(官展)で発表されたとき、この絵は賛否両論の問題作だったのです。一体、何が問題なのか?!
当時のフランスは、1789年の革命以降、政治制度が目まぐるしく変化し、絵画を評価する団体も、絵画への嗜好も大きくその影響を受けました。そしてこの絵が発表されたのは短命に終わった第二共和政時代。絵画も政治思想とは無縁ではいられない時代でした。
ミレーは、以前は神話やヌードなども題材にしていましたが、農家出身で、48年に『箕をふるう人』が内務大臣に買い上げられるなど、農民画家としての地位をこの頃すでに確立していました。