「まあ、もらい事故って感じですよ」
――では、裁判で徹底的に争うのか?
「もう争うのも馬鹿馬鹿しいというか、本当は次の人生を歩んだほうがいいに決まっている。でも、今回これを買収だと私たちが認めてしまったら、日本の選挙のやり方そのものを変えることになるし、公選法の精神をも変えてしまう。ちゃんと争わないと他の人が困るって言われているんですよ。(地方議員への)陣中見舞いや当選祝いを自分が出る選挙の前に持っていけば全部『買収』となる、というのであれば、他のみんなも(選挙違反で)やられてしまう。だから、たとえ私が身柄を取られても、別に私は裁判で勝てますよ。検察もやったらいいと思う。
まあ、もらい事故って感じですよ。自分は、まったく(違法行為に)手を染めていないので。だから、説明責任を! とマイクを突きつけられても、本当に申し訳ないんですが、説明できることがないんです」
――ただ、克行議員が現金を渡していたことについて、夫婦なら当然、情報共有していると普通は思われます。
「そう疑われても、しょうがないよね。検察もそういうストーリーでやってくるんでしょう。でも、この(法相辞任からの)7カ月、2人で一緒にいても、主人は全然言わないですね。『あなたが知らない方がいいこともある』と言って。弁護団も別々ですし。ウグイスの3万円も、どういう会計処理をしているのかすら、全然知らないんですよ。なんで3万円だったのかも。秘書に任せっきりでしたので」
――案里議員の報道対応も批判されました。疑惑発覚から2カ月半後の1月15日の囲み会見まで、ずっと説明せず雲隠れした。
「私は早く取材対応したかったけど、私の弁護士にも自民党の顧問弁護士にも絶対ダメだと止められました」
――あの時「日本を変えたい(から議員を続ける)」と言ったのはなぜですか?
「あれは記者の方が小動物みたいな純粋な目で“なんで辞めないんですか?”って聞いたんですよ。まだ、私が辞めるような流れじゃなかったから、“え、この人は何を言っちゃってんの?”と思って、ちょっとからかいたくなっちゃった。ちゃめっ気のつもりだったんですけど、みなさん真に受けて、批判されて。でも、実際この仕事をしていたら、みんな“日本を変えたい”と思っているわけですし」
――会見終了後、宿舎に戻る際、笑顔がテレビに映され、これもまた批判された。
「あれは朝日新聞の男の子が追ってきて、“案里さん!”って呼んだんですよ。パッと振りむいて、もう職業柄、条件反射で笑顔が出ちゃうんです。元々広島支局にいた知ってる記者だったし“どうもありがとう”って言ったら、その瞬間が撮られて流された。もうこういう流れになると、しょうがない。何をやっても、すごく悪い感じで報じられるので。私にはどこかで、期待に応えなくちゃっていう気もあって、できるだけ黒い服を着て、悪い感じを演出したりもしています」
〈私は今回の事件では、大将です〉
案里氏と話していると、強がりなのか、以前に聞いた話と食い違う時がある。例えばこの日、「小説を書く時、プロットは作らない」と言った。ところが、会う直前に本会議場で文春に撮られた彼女の写真を見ると、手元のノートに登場人物やプロットが書いてあった。後日改めて聞くと、「新作からは作ることにした」と言う。
また、朝日新聞の記事を私に郵送してきたこともあった。そこには、ウグイス嬢への「3万円」は違法だが、“全国的な相場”である旨が書かれていた。彼女は電話でも「マスコミが報じている『河井ルール』って、『広島ルール』なの」と説明し、広島選出の大物議員らの例を語った。だが、この日、再度確認すると、そうした話は「私、知らない」と言った。
芝居がかったセリフも多い。自殺未遂2日前のメールにはこう書いてあった。
〈私は今回の事件では、大将です。家臣が良かれと思って行った戦術でたとえ敗けが込んでも、武将の勝敗として歴史に残ります。それが大将というものです〉