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スワローズ時代のラミレスとベイスターズとの「不思議な縁」……19年前の“あのプレー”が流れを変えた

文春野球コラム 日本シリーズ2020

2020/11/22
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 11月14日、横浜スタジアムでの最終戦の後、今季限りで監督を退任するA・ラミレスはスピーチでベイスターズの首脳陣やスタッフ、コーチ、選手、ファンに御礼を述べた後にこう続けた。

「そして、ヤクルトスワローズ。私をこの日本に連れて来てくれた球団であります、ヤクルトスワローズにも感謝を申し上げたいと思います。そして読売ジャイアンツにも多大なる感謝をささげたいと思います」

 ラミレスらしいコメントだった。この5年間、記者会見におけるそのジェントルかつ冷静な対応はチームが不調な時ほど物足りなさを感じたし、時に意図が伝わって来ず歯がゆい思いをさせられた。でもそれはあくまでファンの目線。ラミレスは自分が喜怒哀楽を見せないことで外部からの余計な詮索を避け、チームを守っていた。その意味ではとてもクレバーな監督だった。

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今季限りで監督を退任するA・ラミレス ©文藝春秋

ベイスターズの何かが終わった19年前のあの試合

 ラミレスの姿を初めて見たのは彼がヤクルトに入団した年の2001年8月16日、神宮球場のヤクルトvs横浜戦。横浜のオーダーは石井琢、種田、中根、鈴木尚、小川、佐伯、サンダース、谷繁、先発三浦番長。ヤクルトは真中、宮本、稲葉、ペタジーニ、古田、岩村、ラミレス、土橋、先発山部。そんな時代だ。サンダースとドスターでは“横浜史上最強の外国人”ローズの穴など埋められる訳もなく、ペタジーニにラミレスと新外国人がことごとく活躍し、ノムさんから若松監督に代わっても相変わらず強いヤクルトが羨ましかった。

 ベイスターズはこの年新監督に森祇晶を迎え、攻めて攻めて攻めまくるマシンガンから脱却し、徹底的に緻密さを求める野球への急転換を図る真っ最中。これが大失敗に終わったことは周知の通りだが、1年目の2001年はまだチームとして機能していた。4月、5月と負け越すも投打がかみ合い始めた6月は12勝9敗、7月12勝4敗、そして8月も11日時点で7勝3敗と勢いに乗っていた。

 この間オールスターを挟んで9連勝し、8月11日広島戦は序盤7点リードされながら谷繁のサヨナラ弾で11-10の大逆転勝ち馬鹿試合。98年の「もののけ」の残り香を感じさせたこの日、3位横浜は首位ヤクルトとの差を6.5ゲームまで縮める。2001年は勝利数順に順位を決める変則ルールで、この時点でヤクルト54勝、横浜48勝。共に残りが44試合と多く、2位に巨人がいたものの残り試合が少ないため、横浜にも優勝の目がある。そんな状況だった。

 しかし直接対決となった14日からのヤクルト戦、横浜は野村とバワーズでまさかの連敗を喫してしまう。これ以上負けられない8月16日の第3戦、三浦と山部の投手戦で0-0。その後共にリリーフが踏ん張り試合はそのまま12回表を迎える。筆者はこの試合を3塁側内野席で観戦していた。目の前にはヤクルトのレフト、ラミレスがいた。

ヤクルト時代のラミレス ©時事通信社

 12回表横浜の攻撃。1死から井上が二塁打で出塁すると、高津の暴投で三塁へ進む。ここで迎えるは佐伯。この試合最初で最後のチャンスに、佐伯の放った鋭いライナーはレフト前へ。筆者は目の前で打球がショートバウンドしてラミレスのグラブに入ったのを見た。間違いなく見た。“やったー!!”……と、思ったその瞬間、三塁走者井上が慌てて塁に戻っている。なんと二塁塁審が直接捕球でアウトの判定を下したのだ。

 普段は沈着冷静な森監督がベンチから脱兎のごとく飛び出し審判団に詰め寄っている。後に続く高木豊、高木由、遠藤らコーチ陣。12回にやっとの思いで飛び出した勝ち越し打をアウトにされたのだから当然だ。打った佐伯もヘルメットを投げ捨て、スタンドに声が届く勢いで声を荒げているのがわかる。

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