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《原因は私にあり、結婚当初に2人で決めた「アメリカで暮らす」という点について、その約二ヶ月後に起きた東日本大震災を受け、自分の中に「日本を離れたくない」という気持ちが強く芽生え、アメリカでの生活を考えられなくなってしまい、結果、彼をひとりにしてしまう日々が続く事となりました》

《身体の距離であればお互いに行き来する事で埋められると思っていたものが、気が付けば心の距離へと変わってしまって》

 離婚原因は「東日本大震災が影響している」という説明だが、エイベックス関係者は「実際は違いますよ」と当時を振り返った。

警察沙汰で終焉を迎えた結婚生活

「確かに東日本大震災後は渡米しづらいこともあったようですが、浜崎は別れる直前はロスにいました。そしてある日、ロスにいる浜崎からエイベックス幹部のもとに『夫からDVを受けている。警察に駆け込んだ』と連絡が入ったんです。数名のスタッフが日本から浜崎のもとへ急行すると、顔をパンパンに腫らした浜崎が『マジあいつ殺す』『もう別れる』『訴える』と激怒していました」

マニュエル氏の2011年8月27日の投稿「妻のことを考えている」には浜崎の反応はなかった

 大事な“歌姫”に傷をつけられたスタッフらは憤慨し、離婚と刑事告訴を念頭にマニュエル氏に話をつけに行こうと彼の所在を調べたという。

「すると、なんと彼も別の警察署に駆け込んでいたんです。しかも、浜崎以上に顔を腫らしていた。浜崎が全治1週間の怪我だったのに対し、マニュエル氏は全治3週間。かなり激しい夫婦喧嘩をしたようでした。

 マニュエル氏も『傷害罪で訴える』と激怒していたので、幹部たちは話が大きくならないように、まずは被害届を取り下げさせて、ロスで弁護士を探して……とてんてこ舞いだったようです」(同前)

 その結果、双方が離婚に納得し大事にならずに済んだという。

婚姻届に不備があり受理されていなかった

「双方、弁護士を立てて『お互い一切の金銭的要求はしない』という条件のもと和解しました。そして次は離婚手続きに取り掛かった。浜崎とマニュエル氏は日本では婚姻届けを出さず、米ネバダ州の役所で婚姻届を提出していただけだったので、アメリカで離婚手続きをすればいい。しかし財産分与などで揉めるだろうなとスタッフらも覚悟していたのですが、意外な事実が発覚したのです」(同前)

 エイベックス関係者は呆れたような表情でこう続けた。

「なんと浜崎とマニュエル氏が役所へ提出した婚姻届に書類不備があり、受理されていなかったんです。つまり結婚できていなかった。

 もちろん驚きましたが、エイベックス側としては離婚訴訟や財産分与の手間が省けてラッキーではありましたね……。関わっていた幹部らも拍子抜けしていましたよ。ですので慰謝料の支払いなどもなく、穏便に別れることができました」(同前)