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“死者を生き返らせるための儀式が屍姦行為だった” 1999年光市母子殺害事件犯人の言い訳

『私が見た21の死刑判決』より#10

2020/11/28

source : 文春新書

genre : エンタメ, 社会, 読書

note

 1999年4月14日午後2時半頃、山口県光市内の社宅アパートで起きた強盗殺人事件。アパートの一室に侵入した少年は抵抗する女性の頸部を圧迫して殺害した後、その女性を屍姦し、傍で泣き止まない娘を床に叩きつけ殺害した。女性の遺体を押入れに、娘の遺体を天袋にそれぞれ放置し、居間にあった財布を盗んで逃走した。事件から4日後、少年は逮捕され、公訴が提起された。

 その公判廷の傍聴席にいたのが、ジャーナリストの青沼陽一郎氏だ。判決に至るまでの記録を、青沼氏の著書『私が見た21の死刑判決』(文春新書)から、一部を抜粋して紹介する。(全2回中の2回目。前編を読む)

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ドラえもんの四次元ポケット

 その秘密兵器が『ドラえもん』だった。

 犯行から8年の歳月を経て、26歳になっていた元少年は、この事件の真相に『ドラえもん』を登場させたのだった。

 その瞬間、法廷中の血の気が引いたような感覚に襲われた。

 少年は殺害した子どもの遺体を、押入の上の天袋の中に入れている。その後には、屍姦した女性の遺体を押入の中に入れて、現場を立ち去る。

©iStock.com

 その理由を聞かれて、法廷の被告人はちょっと躊躇いながら、こう明言したのだ。

「押し入れの中というのは、ぼくにとってドラえもんが住んでいる、四次元ポケットですね。何でも叶えてくれる。のび太の家では、押し入れはドラえもんの寝室なんです。押し入れに入れることで、ドラえもんが何とかしてくれるという考えがありました」

『ドラえもん』の言葉と同時に息を呑んだその場の人々は、それから急激に熱が引いて冷めていくのがわかった。

 傍聴席でメモをとっていたぼくのペン先も震えていた。ノートに残った「ドラえもん」の文字も、ひときわ大きくなって躍っている。