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徳川幕府の栄枯盛衰を見守った二条城 国宝・二の丸御殿の“群を抜く豪華さ”

“京都の城”をめぐる旅 #1

2020/12/01
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 城の御殿は、全国に4棟しか残っていません。中でも豪華さで群を抜くのが、二条城の国宝・二の丸御殿です。

 そもそも二条城は、徳川家康が征夷大将軍の任命式典のために築いた、徳川将軍家にとって特別な城。寛永3年(1626)、3代将軍・徳川家光が後水尾天皇の行幸のため城を大改築し、このとき二の丸御殿も建造されました。徳川幕府の威信をかけた桃山文化の極みで、領国の支配拠点となる大名の居城とは一線を画す、軍事力よりも格式が重視されたノーブルでラグジュアリーな城でした。

二条城の国宝・二の丸御殿。

「古都京都の文化財」を構成する歴史的建造物のひとつとして、世界文化遺産に登録されています。

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国宝・二の丸御殿はここに注目!

 二の丸御殿は、33の部屋の用途に注目すると、部屋ごとの雰囲気や設えの違いに気づけるはずです。天井の形式、飾り金具などの装飾も、部屋によってまったく異なります。部屋の目的に応じてつくられ、身分によって入れる部屋や座る場所も違うからです。

 部屋の境目にある段差が、その境界線。江戸時代における縦社会の厳しさがひしひしと伝わってきます。

二条城の正門にあたる東大手門。寛文2年(1662)頃の建造。
東南隅櫓(とうなんすみやぐら)も、江戸時代から残る建造物。

 狩野派が手がけた障壁画も、色彩やタッチ、絵柄が部屋ごとに異なります。たとえば、訪れた大名の控えの間「遠侍」や、取り次ぎを行う「式台」、将軍が諸大名と対面する「大広間」の障壁画は、将軍の権威を示すべく、勇猛な虎や豹、鷹などが絢爛豪華な色彩で描かれています。

 一方、将軍が近しい大名と対面する「黒書院」では、季節の情景でもてなしの空間を演出。将軍の居間「白書院」では極彩色が一切使われず、水墨画による心落ち着く空間がつくられています。