日韓で花開いたそれぞれの「POP」。両者が歩んできた道はどこで交差し、どこで袂を分かったのか? JとKの20年を振りかえり、K-POPの世界的ヒットの理由を考えます!
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近田 僕が最初に知った韓国人歌手は、当時の多くの日本人の例に漏れず、80年代のチョー・ヨンピルでした。すなわち、演歌のイメージですよね。
金 長らく続いた韓国人歌手に対するその印象を刷新したのが、2001年に日本デビューを果たしたBoA。ここから、いわゆる日本におけるK-POP史の第一ステージが始まったと言えます。
近田 それ以前から、韓国には現在のK-POPにつながるような音楽は存在していたんですか?
金 ええ。90年代前半には、すでにヒップホップグループのソテジワアイドゥルが活躍していました。
近田 懐かしい! ソテジワアイドゥルのラップ、なかなか面白かったんだよな。僕も、当時は彼らと同じラッパーでしたからね(笑)。
金 90年代後半になると、男性5人組のH.O.T.や女性3人組のS.E.S.といったグループアイドルの第一世代が登場します。
始めにBoAありき
近田 その世代とBoAとは何が違ったんですか?
金 BoAは、音楽における韓国と日本の関係性を再構築しました。彼女の所属事務所であるSMエンターテインメントと日本のエイベックスが提携して、日韓の差を感じさせない、どちらに出しても通用するポップを産み出した。リスナーとしても、どの国の歌手なのかという感覚にとらわれず、親近感を持ちながら聴くことができました。
近田 BoAはその戦略が功を奏してスターになりましたが、当時の日本に受け入れられるために練り上げられたある種の技があったということなんですかね。
金 ええ。「ここではこういうタレントとして振舞わなければいけない」と教え込むローカル化ですね。日本では日本語詞のCDを制作し、テレビ出演の際にも流暢な日本語を披露しました。
近田 考えてみれば、日本の若い子たちも、物のとらえ方が柔軟だったんですね。
金 そうなんです。その後、同じSMエンターテインメントのアーティストが続々と日本に進出します。05年には東方神起が日本に進出し、大きな人気を獲得。10年には、少女時代が日本デビューを果たします。