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日本と世界の“K-POP観”のズレ

 その通り。日本人はあの曲を理解することができなかった。当時定着し始めていた「K-POPとはこうあるべき」という観念から、「江南スタイル」はだいぶ外れていましたから。そもそもK-POPは、J-POPの相対概念として生まれた言葉で、2000年代頭から日本を中心に使われ始めました。だから、「こうあるべき」と自己を定義した言葉ではありません。それは匂いのようなもので、外からどんどん規定されることで「K」らしさが生まれる。そういう意味では、「江南スタイル」の世界的ヒットで、みんな楽になったと思うんです。

近田 楽になった?

 「K-POPはこういうもの」という規定内容が拡張されたからです。

近田 グローバルな観点で言うと、ここでK-POPが何でもありになったということか。それはすごく分かりやすい話ですね。

 やっぱり、そこでK-POP=アイドルと考える日本と世界とのK-POPに対する認識のズレが生じ始めました。韓国側にとっては、日本のチャート首位ではなく、世界規模でのヒットがゴールに変わったんです。

金成玟さん(左)と近田春夫さん ©文藝春秋

近田 欧米から見れば、K-POPは、アジアの独特な音楽じゃなく、もっと普遍的なポップになったと。

 この12年以降、日韓の外交関係は冬の時代を迎えます。それがK-POP人気を冷え込ませたと思われていますが、実際にはほとんど影響はなく、すでに日本の若いファンは、YouTubeなどを通し、マスメディアの力を借りずに韓国の音楽を楽しむことが可能になっていた。紅白歌合戦に韓国の歌手が出場することもなく、テレビからは消えたように見えたけれど、BIGBANGや東方神起の来日公演は、東京ドームなどの巨大な会場をたやすく満杯にしていました。

近田 そうなんですよ。

 TWICEやBTS(防弾少年団)を中心として17年から始まるK-POPの第三ステージでは、脱マスコミの傾向がさらにはっきりしました。与えられたものを消費するだけではなく、聴き手が積極的に参加する性格のものになった。K-POPアイドルを目指してソウルに行く若者が急増したのもこの頃からですよね。

(構成:下井草秀)

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 18年にはBTSのアルバムがアメリカのビルボードで首位を獲得。彼らは「K-POP史」においてどんな存在になったのか。そしてJ-POPの未来は――。本対談の全文は『週刊文春エンタ! エンタメが私を私を救う。』(ローソン限定発売)に掲載されています。

近田春夫(ちかだ・はるお)
1951年東京都生まれ。ミュージシャン。近著に『考えるヒット テーマはジャニーズ』(スモール出版)。YouTubeで東京五輪2020の非公式テーマ曲「近田春夫のオリパラ音頭」を公開中!

金成玟(きむ・そんみん)
1976年韓国・ソウル生まれ。北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院准教授。専攻はメディア文化研究、国際地域文化研究。著書に『K−POP 新感覚のメディア』(岩波新書)がある。

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