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連載昭和事件史

致死量の325倍!? 秀才のやさ男が毒殺の「悪魔」に変貌した理由

――“流行”さえも生み出した「青酸カリ殺人事件」 #2

2020/12/06
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 東日号外は「犯人の自白内容」としてこう書いている。

「新聞社の写真班の前に引きずり出されても『大した事件でもないのに、そんなに騒ぐことはないじゃないか』と平然として刑事連の舌を巻かせていたが、今回の犯行に当たっても、よほど以前から計画を立てていたものらしく、酔いが覚めるにつれてポツリポツリと自白したところによると、鵜野洲はかねて顔見知りである増子校長に対し金策方を依頼していたがらちが明かぬので、21日、増子氏が教員の俸給を受け取る日であることを聞き込んで、いよいよ凶行を決意した。

 増子校長を呼び出すときに『先生が今度奏任官(三等から九等までの高等官)待遇になったので、富士小学校の同窓会で祝賀会をやりたいそうですから、それについてお打ち合わせしたい』という、いかにも自然な、しかも人を食った言葉であったと申し立てている」(全2回の2回目。#1を読む)

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一審の死刑判決を報じる東京朝日

女に好かれそうなやさ男だった鵜野洲

 東日号外中の「犯人の素性」によると、鵜野洲は父親(61)と母親(62)、妻(24)、長女(2つ)のほか、死亡した兄の子ども2人ら計8人暮らし。

「少年時代から秀才で、千束小学校を優等の成績で出て府立第七中学(現都立墨田川高)を卒業。父親の足袋商は手伝わず、自分一人で学用品や運動具を小学校に売り込んでいたもので、同窓会の理事をしている母校の千束小学校をはじめ、浅草の各小学校に出入りしていたもので、被害者増子校長とは4年前に、増子氏が浅草・富士小学校の訓導をしていた時代に知り合ったものである。ちょっとやせぎすな、女に好かれそうなやさ男で、仕事の関係で本年8月ごろから待合入りをするようになってから、千束町の待合『しのぶ』や『やよひ』『老松』を根城に足繁く遊ぶようになり、浪花家の芸妓『和千代』や山登屋の『藤豆』になじみを重ねて派手な遊びを重ねたので、数百円の借金があった。今度の犯行の動機は結局遊興費稼ぎが目的で」「かねて顔見知りの増子校長を狙ったものである」。

「犯罪の裏に女」という同紙号外の別項の記事では、その藤豆の談話が写真とともに載っている。藤豆は、鵜野洲とは幼なじみで友達付き合いをしていたが「今年の7月ごろから深い関係が生じました」。しかし、鵜野洲には妻子があることから、事件前日の20日に会って手を切ったと語っている。

上から4枚目の写真は事件解決で乾杯する柳北小の教員ら。同じ紙面には鵜野洲のなじみの芸者「藤豆」の顔も(読売)

 千束小の衛生婦の話も載っている。見出しは「探偵小説の材料と稱(称)し 毒薬の効能を聞く」

 確か10月の下旬でした。衛生室に注文を取りに来た鵜野洲が入り込んで「懸賞の探偵小説を書いているが、毒殺の場面は何で殺すのが一番素人くさくないか」と聞いたので、ヒ素を挙げて説明してやりました。ところが、翌日またやってきて、私の薬物の本を取り出して見ていましたが、この前の日曜に、学校から誰かが無断で薬局に電話をかけ、「学校だがヒ素を10グラム持ってこい」と言うので、不審に思った薬局から学校へ問い合わせが来たので気味が悪くなりました。

事件前にもあった毒殺未遂

「警視庁史昭和前編」によれば、鵜野洲が毒物を使って金を奪おうとしたのは増子校長が最初ではなかった。商売を始めてしばらくは真面目に働き、得意先の学校や近所の評判もよく、結婚も富士小校長の媒酌だったほど。