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2020/12/17

source : 文藝出版局

genre : ライフ, 芸能, 読書, ライフスタイル

 大阪で伝統芸能の講談師として修業に励んでいる旭堂南歩も教え子。

 27歳のときに芸人から転身し、一門の15番目の弟子となる覚悟を決めた。

「遅すぎるのでは?」という周囲の声もあったが、彼は「ジャーナリズム精神をもって、歴史に残らないけど尊敬できる現代人を講談で伝えたい」と新聞社でバイトをしながら生きている。

 

 人気ユーチューバーやプロゲーマーになった生徒、銭湯好きが高じて入浴剤のプロデュース業をはじめた生徒、素朴な女の子だったがセクシー女優になった生徒もいる。

『先生』と呼ばれる人たちは誰しも、教え子の『その後』を見られるのが何よりも尊い。たとえ売れていなくても。生きてさえいてくれれば――。

優勝の数時間後、相方は亡くなった

「僕が誘わなかったらアイツはあんなことに……」ふるさとが近づくと大谷くんはまたぽつりと相方を語り始めた。

 二人の出会いは中学。当時は相方Sくんのグループからいじめを受けていた。が、高校で同じクラスになると意気投合。二人を結びつけたのは『お笑い』だった。

 ことあるごとに「人間は簡単には死なないよ」というSくんの豪快な性格にほれ込み、大谷くんはSくんをお笑いの世界に誘った。

 

 部活にバイト、飽き性で何をやってもすぐに辞めてしまうSくんだったが、漫才だけは納得するまで何度も稽古を続けてくれた。

「アイツが初めてのめり込んだのが、お笑いだったなぁ」

 生まれ育った街の駅のホームで目を細めた。

 養成所時代は、ステージを所狭しと動き回るパワフルな漫才で同期の目をくぎ付けにした。突然、ホットプレートを持って登場し、「今からこの上で漫才します!」と言った生徒は後にも先にもいないだろう。

 そして彼らは、同期ライブで優勝を飾るまでになった。16歳から夢を語り合ってきた二人にとって大きな一歩となった日。

 ライブのあと、二人は固く手を握り合い「じゃあな!」で別れたが、その数時間後、相方Sくんは帰らぬ人となった。

 交通事故だった――。