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伝説のホスト ローランドが明かす「女の子と話せなかった新人時代」を支えた“劣等感と反骨心”

ローランドさんインタビュー #2

2020/12/27
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 1992年、東京都八王子市で生まれたローランドは、かつては“無敵”のサッカー少年だった。周囲から「天才」「絶対にプロになれる」と言われながら育ち、中学ではJリーグの下部組織のチームに所属。その後は名門・帝京高校に入学した。だが、そこでの毎日はこれまで築いてきた自信を失い続ける、非情な日々だった。それでも高校3年間、全てをサッカーに捧げて打ち込んだローランドだったが、結局プロから声がかかることはなかった。

「自分の身の丈を全部知ってしまった時の絶望感と劣等感とコンプレックス」を抱えながら、ローランドは両親や先生の薦めで大学に進学。しかし、入学式の日に「ここは俺の居場所じゃない」と感じ、退学届を提出して、ホストの道に進むことを決意する。

 

 高校まで女子なんてほとんど見たこともなかったというローランドは、そこからいかにしてホスト界の頂点にまで登りつめたのか。自伝的漫画『ローランド・ゼロ』(宝島社)を刊行した彼に、“歌舞伎町に飛び込んでからの10年間”について聞いた。(全2回の2回目/前編から続く

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 サッカーボールばかりを追いかけていた18歳の男子が、推薦で入学した大学を早々に辞め、ホストという業界でゼロからスタートする。親も友達も誰もが大反対した。それを押し切り、退路を断って新宿歌舞伎町のホストクラブに入店した初日、ローランドは自己紹介で「歴史を塗り替える伝説のホストになる」と告げ、大顰蹙を買った。だが本人は大真面目だったという。

「最初の店で辞めてしまおうかという思いが、チラッとでも脳裏に浮かばなかったかと言えば、嘘になります。でも俺は辞めなかったですね」。ホストの世界は、たくさんの新人がやってきては、すぐ去っていく。ローランドもまた、ホスト修行としてトイレ掃除をし、酒やトークを覚え、自分のできなさを思い知らされる夜を重ねる日々を送った。指名がつかなければ大した売り上げが立たないため、収入にはつながらず、会社の狭い寮で男ばかりの集団生活を続ける長い下積み時代を過ごした。

 

 それでも逃げ出さなかったのは、一度全力で夢を追って挫折した、あの経験があったからだという。「何もかも捧げて、それで叶わなかったとき、僕の中には壮絶な悔しさと劣等感と反骨心が残った。確かに一つ目の夢は叶わなかったけれど、その劣等感とか反骨心って、二つ目の夢を追いかけるときに、自分にとってめちゃくちゃ燃料になったんですよ。

 ホスト時代、嫌な先輩がいたり売れない期間が長かったりもしたから、普通だったら辞めてるなって、今自分でも思う。でも、あれだけの屈辱を味わって、またここで諦めるのかっていう気持ちがあったから、続けられたんです」

「女の子と話せないどころか目も見られない」

 とはいえ、初めの頃はホストとして全然使い物にならなかったという。「そもそも、アスリートとしてストイックに運動ばかりしていたから、女の子とロクに話した経験もないわけです。店でフロアに出てテーブルについても、女の子と話せないどころか目も見られない。一番最初についた女の子のことは忘れられないな」

 

 初めて接客した女性は、ローランドと口すらきいてくれなかった。「他のホストと彼女との会話の蚊帳の外にやられて、ただ天井を見上げてやり過ごして。今の僕からは想像もできないですけれど(笑)」