香港の大手紙「蘋果日報(アップルデイリー)」などの創業者である黎智英(ジミーライ)氏が12月11日、国家安全維持法違反で起訴された。
香港メディアが1997年の返還以降、次々と「親中派」へ鞍替えしていくなか、唯一、民主派の論壇を守り続けた。蘋果日報は市民にも人気があり影響力は無視できず、中国にとって最も排除したかった人物であったことは間違いない。
8月に黎氏が逮捕されると中国メディアは「シャンパン・パーティーを開きたい」などと書いた。今回の起訴を香港の親中メディアは「乱港頭目(香港反乱リーダー)の黎智英の末路」と報道。禁錮刑を言い渡された周庭(アグネスチョウ)さんらは「乱港分子」だったので、ついに魔の手が「本丸」に及んだということだろう。
この異常な民主派壊滅への盛り上がりは「反革命分子」「反動分子」のレッテルを乱発し市民が逮捕・排斥された60年代の中国文化大革命を彷彿とさせる。
実は黎氏自身が、その中国から香港へ逃げた人物だった。1948年に広東省で生まれたが、父親は家族を捨てて香港へ逃亡し、母親はその罰で労働改造所へ送られ、12歳の時に密航で香港へ。衣料工場で働きながら独学で英語を学び、株で資金を増やした。そして80年代に人気衣料品ブランド「ジョルダーノ」で成功。この衣料品ビジネスのモデルは、後に柳井正氏が「ユニクロ」に取り入れた。