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「虚構と現実」の狭間で…“没後10年”今敏監督はアニメで何を描き続けていたのか?

2020/12/18

 新型コロナの影響に揺れる9月の東京。早稲田松竹の劇場前には、「今 敏監督 没後十年」の企画に押し寄せた人々が連日の行列をつくった。海外の映画監督にも影響を与えた今 敏の作品とはどういうものだったのだろうか。再びその世界を探る。

※監督の生前の意向に添い、「今」と「敏」の間を空けてフルネームで表記してあります。

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 日本を代表するアニメーション監督だった今 敏が急逝したのは2010年。没後10年にあたる今年は、作品のリバイバル上映も各地で行われ、雑誌でも特集が組まれるなど、改めて今 敏監督のクリエイションに注目が集まっている。

 今 敏監督は1963年に生まれ、1991年公開の映画からアニメ制作に関わるようになった。1997年に監督となると、10年余りの監督活動のうちに4本のアニメーション映画と1つのTVアニメ、1つの短編を残した。残された監督作は、どれもが趣向を凝らした一級のエンターテインメントだ。

今 敏監督 ©AFLO

美大在学中に漫画家としてデビュー

 今 敏監督は国内だけでなく海外からも高い評価を受けた。例えば『ブラック・スワン』などで知られる奇才ダーレン・アロノフスキー監督は、今 敏監督から大きな影響を受けたひとりといわれている。米タイム誌は、2010年に「2010年を代表する人」特集のFond Farewells部門(同年に亡くなった人を紹介する部門)で、J・D・サリンジャーなどと並んで今 敏監督を選出している。また、カナダ・モントリオールで開催されるファンタジア国際映画祭は、2012年より、今 敏監督の功績を讃え、アニメーション部門の最高賞を「今 敏賞」という名前で呼ぶことにした。

 世界を魅了した今 敏作品の魅力はどこにあるのか。今 敏監督のキャリアを振り返りながら、今 敏世界の魅力を改めて紐解いてみたい。

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 今 敏は北海道出身。武蔵野美術大学在学中の1984年に新人賞に入賞し、漫画家としてデビューを果たしている。今 敏監督はデビュー当初から卓越した画力を持っており、高寺彰彦、大友克洋といった漫画家のアシスタントに入った時も、作画に手間のかかる非常に複雑なコマ(例えば都市の俯瞰図、崩壊するビル)などを手掛けたという。

 今 敏がアニメの現場に関わるようになったのもこの画力によるところが大きい。

 初めてアニメーションの現場に参加したのは『老人Z』(1991、北久保弘之監督)。今 敏は同作で美術設定・レイアウト・原画を務めた。