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「殺したときには射精していました」“快楽殺人犯”とされた山地悠紀夫が女性殺しに走った本当のワケ

『日本の凶悪犯罪 昭和―令和「鬼畜」たちの所業100』より #2

2021/01/05
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 いつの時代もなくならない凶悪犯たちが起こす悲惨な事件。彼ら彼女らはなぜ人の道を踏み外し、いとも簡単に人を殺める獣へと変貌してしまうのか。

 ここでは、『日本の凶悪犯罪 昭和―令和「鬼畜」たちの所業100』を引用し、オッカケまで生まれた連続殺人犯・山地悠紀夫の実像に迫る。快楽殺人犯といわれた男が女性殺しに走った本当の理由とは。(全2回の2回目/前編を読む)

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殺人鬼・山地悠紀夫の実像

 2005年11月17日未明、大阪市浪速区のマンションで発生した火災現場。部屋に突入した消防隊員は無残な姉妹の刺殺体を発見した。この部屋に住む姉と妹のものだった。殺人事件だったのだ。翌日からこの事件は大阪姉妹殺傷事件として大きく報道された。姉妹は何カ所も刺されて絶命したうえに暴行の痕跡もあった。残忍な犯行状況に、外国人犯罪やストーカー説も出ていたが、1週間もすると情報がなくなり、報道は止まってしまった。

 同年12月5日、事件の犯人は逮捕された。その男の名は、山地悠紀夫。筆者は耳を疑った。この男は、5年前、母親を撲殺しており、その事件を筆者は取材していたのだ。大阪の事件も発生直後に現場に入った筆者は、同じ犯人の2回の殺人事件を現場で再び取材することになった。その後、関係者に話を聞き、裁判傍聴を続け、『我思うゆえに、我あり 死刑囚・山地悠紀夫の二度の殺人』(小学館)を山地の死刑執行後に上梓した。

 今回、初めて明かす取材の裏側まで含めて、殺人鬼・山地悠紀夫の実像に迫りたい。

「俺がここを出るのを待っている女がいる」

 山地は、1983年に山口県下関で生まれた。アル中の父親とは小学生のときに死別しスーパー店員の母との母子家庭となった。キレやすい性格で、暴れて小学校の窓ガラスを腕で割ったこともある。中学の途中からは、不登校となり、同世代の女の子とはほとんど話をしたことがない。

©iStock.com

 新聞配達をしながら16歳になった山地に初恋の相手が現れた。幼い頃から通っていたおもちゃ屋に新しく入った店員、江崎美幸(仮名)だった。7つ上の23歳。小柄で茶髪、年齢より幼く見えた。優しく話しかけてくれる彼女に山地はすぐに惹かれた。

「婚約者がおるんやけど別れるかもしれん」

 江崎は彼氏への当てつけに年下の山地と毎日遊んだ。発作的に山地が告白した夜、なし崩し的にセックスをした。山地の初体験だった。

「妊娠したら責任とってね」

 行為が終わり、16歳には背負いきれない言葉を江崎はぶつけてきた。その気になった山地は、当時やっていた新聞配達のバイトを増やそうとしていた。