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「決めごとをきっちりやるか、やらないか」NAOYAが語るHIROとEXILEのすごさとは

“ヒップホップの伝道者”NAOYAインタビュー #2

2020/12/27
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『DADA L.M.D』(テレビ朝日)というディスコ番組から生まれたZOOは、「最先端のヒップホップを日本人に伝えたい!」と活動してきた。のちのEXILEや三代目J SOUL BROTHERSをはじめ、現在もダンスシーンの先頭を走り続けているLDHグループの源流にもなった伝説のダンスボーカルユニットだ。

 ところが、JR東日本のCMソングにもなった「Choo Choo TRAIN」が大ヒットするなど順調に育っていったグループは、1995年に解散してしまう。なぜ彼らは人気絶頂期に解散したのか。原宿ホコ天時代から一貫して自分の意志を貫いてきた元ZOOメンバーのNAOYAさんに、グループ解散の真相や、EXILEとの違い、現在の活動について聞いた。

元ZOOメンバーのNAOYAさん

解散覚悟、曲げられない僕のポリシー

―――順調に活躍していたZOOですが、なぜ6年の活動期間を経て解散されたのでしょうか。

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NAOYA ZOOは多少ワガママでも、個性や自由を大事にしながらやっていたし、所属事務所の社長もはじめはそれを面白がってくれたんですよ。しかし、デビューから数年経って、ZOOも安定してきたのでしょうか。ツアー終了後の会議で社長から「今までは自由な振る舞いを許してきたけれど、これからはビジネスだ。演出もステージもすべて、指示に従ってもらう」と言われたんです。

 ZOOの成長とともに関わっているスタッフや社員も増えた。これからは仕事としてちゃんと取り組むのかどうなのかと。僕は僕の仕事として、アーティストとして頑張っていたつもりだけれど、社長が求める仕事の意味とは違った。それに、僕が一番ヤンチャだったから、ほぼ僕に向けて言ってるんですよ。僕はメンバーの年下チームを仕切ったり、ZOOの中でも意見が強い立場にいたので、僕が分かりましたと言えばみんなもそれに続いたんだろうけど、そこはどうしても譲れなかった。

 

 最終的には「辞めるのか、辞めないのかはっきりしろ」という話になって、「じゃあ辞めます」と。「お前らこれをやっておけばあと10年は食えるぞ、どうするんだ?」と言われましたが、僕は(1995年12月の)解散の半年前に、一足先に辞めました。