多くの女性アナウンサーやタレントを輩出してきた上智大学のミスコンテストは、2020年「ソフィアンズコンテスト」へと変貌した。ミス/ミスターコンという性別ごとの開催をやめ、性別統一的なコンテストとすることで、募集要項から性別規定をなくしている。
ソフィアンズコンテスト主催団体は、既存のコンテストが持っていた「女らしさ/男らしさ」という性別二元的なあり方を打ち破り、新たな上智大生らしい魅力を実現できる場にすることを目指すと発表している。
また、この制度改革は、大学が理念として掲げる「ダイバーシティ」(国籍やセクシュアリティなどの個々人の違いを尊重すること)に即したコンテストのあり方を模索した結果であると説明している。
世界で進む「ミスコンの制度改革」
はたして、このような制度改革は性別に関する新しい感性や文化を育むものか、それともミスコン的イベントを存続させるための言い訳でしかないのか。
これは、今後の展開を見ていくことでしか答えられない問題だが、実はこのような「ミスコンの制度改革」は近年、世界の様々なミスコンで活発になされている。そこで、これまでのミスコン批判とそれに応えたミスコンの変化を少し紐解いてみよう。
「ルッキズム」を助長……ミスコン批判の始まり
ミスコンに対する反対運動が始まるのは1960年代末からである。主にルッキズム(外見至上主義)を助長するものとして、ミスコンは批判されてきた。
ルッキズムとは、外見の「良し悪し」によって人を判断し、その人に対する態度を変えることを指す。
とくに社会的・職業的な地位や権力をもたない女性たちはこのような扱いを受けることが多かった。そもそも女性の外見の「良さ」とは純粋な美しさだけでなく、(異性愛者男性にとっての)性的対象としての望ましさも意味してきた。
そのため、外見評価の場は人格を無視し性的対象としてのみ捉えた蔑視発言を伴うことが多く、セクハラも起きやすい。