コロナ禍において天皇皇后の2人が姿をあまり見せないのは、まずもって感染拡大防止の側面があるが、法的には日本国憲法との兼ね合いがあろう。
国政に関する権能を有しない象徴としての天皇は、戦前の反省を踏まえ、抑制的な行動をすることが求められた。イギリスのエリザベス女王が今回も積極的にビデオメッセージを発し、国民を励ましたが、それは君主という立場であるからこそできたのである。象徴である天皇に同じ役割を期待するのは難しい。
コロナ禍のいまと東日本大震災の違い
しかし、平成の天皇は2011年の東日本大震災の際、地震発生から5日後の3月16日にはビデオメッセージを発している。
これとの違いは何か。
東日本大震災後は、被災者を励まし、その後の復興に向けて頑張ろうという点で、ある程度国内の方向性が一致している状況にあり、天皇のメッセージも震災や原発事故の状況を憂慮し、関係者をねぎらい、被災者を励ますという明確さがあった。
一方、今回の新型コロナウイルスをめぐる方向性は、必ずしも一致しているわけではない。
自粛なのか経済をまわすのか、国内では様々な意見が飛び交っている。もし天皇が何らかのメッセージを発した場合、政府の政策に賛同するのか反対するのか、どちらの立場に立つのかによって、その文言をその方向性に有利な形で解釈してしまう危険性もあった。政治的に利用される可能性があったわけである。それゆえ、天皇はメッセージを発することなく、姿も見せなかった。
天皇個人の性格や政権との関係性も、要因としてあろう。
徳仁天皇はこれまでの記者会見でも、言葉を選んで見解を述べるなど、慎重な性格であることがわかる。自分がメッセージを出せば、どのような効果が世間にもたらされるのか、そして先に論じたような問題が起こりうるかをよく理解しているものと思われる。
また、政権を7年以上担ってきた安倍晋三総理大臣(当時)と天皇になってまだ1年の徳仁天皇では、その経験値が大きく異なる。天皇を20年ほど務めてきた平成の天皇と1年弱しか政権を担っていないなかで東日本大震災という危機に直面した菅直人総理大臣(当時)との関係性とは、まったく違った。