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みくり激怒に「楽しくない」という声も…『逃げ恥』最終回はなぜ“善意の魔法”を解いたのか

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2021/01/02
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『「逃げ恥」のシナリオ作家は主婦論争の都留重人論文を読んだのだろうか?「私が自分の女中(原文のママ)と結婚したとする。私が女中に支払っていた給料を払わなくてよくなる。やっていることは同じなのに、その分だけ、日本のGDPは減る」…これはおかしい、というのが「不払い労働」論だった。』

 東京大学の上野千鶴子名誉教授が、Twitterにそう投稿したのはほぼ4年前の2016年12月22日、テレビドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』シリーズ最終話が放送された2日後のことだった。ここでの都留重人論文とは、1959年の婦人公論に掲載された都留重人の「現代主婦論」のこと、現在は『主婦論争を読むI 上野千鶴子編』(勁草書房)に収録されている文章だ。

 女性にとって結婚して無償で家事をするのと、家政婦の職業として家事をするのではどうちがうのかについて書かれた文章は、読み返せば確かに1959年に男性の経済学者に書かれた文章としては先進的で、『逃げ恥』のストーリーを先取しているように見える。

 それなりに話題になりリツイートはされたものの、最終話の余韻さめやらぬドラマのファンの活気に比べると、最初のツイートはいささかスルーされ気味だったと思う。続くツイートで上野教授はこう書いている。

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『「逃げ恥」の契約にセックスが含まれないのは不自然。結婚とはセックス契約なのに。一回当たりのセックスコストを誰が誰に支払うのか?家事と同じくセックスも「愛の労働」、しかも「無償労働」だ。こういう議論はほぼ「不払い労働論」で尽くされている。おぞましい議論だが、現実がおぞましいのだ。』

 これはまあ、案の定というかそこそこ炎上した。反フェミニズムの風潮も強いTwitterにおいて、上野千鶴子のツイートはオリンピックの聖火みたいに常にトロ火で炎上している。何を言っても批判してやろうと待ち構えているところにもってきて、日本で最も支持を集める人気ドラマに対して批判めいたことを書いたわけである。聖火リレーレベルの通常炎上から開会式の聖火点灯くらいのレベルで炎上した。まあ上野教授はいつものごとく何も気にしてなさそうではあったが。

『逃げるは恥だが役に立つ』(2016年)公式サイトより

「逃げ恥」は「新しくもラディカルでもない」

 炎上はドラマファンが怒ったというよりは、もともとの「アンチ上野」の格好のネタになってしまった面が強かったと思う。だがドラマファンの視点からもいささかピントのずれた批判ではあった。

 あのドラマを見ていた視聴者なら、仮に平匡とみくりの間に「セックス契約」があったところで、みくりの方から「それは二人の共同行為ですから割り勘にすべきです」と言い出し、平匡が「しかし妊娠のリスクが公平でないことを考えれば避妊具の費用くらいは僕が」と食い下がり、さんざん押し問答の末にお互いがお互いに同額を支払った上、消費税だけはバカ正直に申告して国に納めるみたいな結末になってしまいそうだ。財務省まる儲けである。

 上野千鶴子の『こういう議論はほぼ「不払い労働論」で尽くされている』というツイートには、暗に「こんな話は特に新しくもないしラディカルでもない、フェミニズムはずっと前からこうした議論を通過している、何を今さら驚いているの」というニュアンスを感じる。

 なんとなく『グラップラー刃牙』の烈海王の決め台詞、「君のいる場所は中国拳法が2000年前に通過した場所だ」を思い出す言い草だが、たぶんその通りなのだろう。確かに「逃げ恥」という作品の本質は画期的な新しさやラディカルさを打ち出すというより、何かを学び直す、やり直すところにあるように思える。

 「逃げ恥」という作品の時代背景には「日本の経済的後退」という影のテーマが横たわっている。就職氷河期からリーマンショックを経て女子の就職が悪化した21世紀初頭、それは上野フェミニズムが脚光を浴びた時代、男女雇用機会均等法が改正・成立した80年代、上昇する日本経済にともなって企業もまた女性の労働力を求めるようになる追い風の時代とは真逆だ。 

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