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「働きにきた女だと思われた!」 三重に実在する“ヤバい島”を作家が書き留めたわけ

花房観音さんインタビュー#1

2021/01/08
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 主婦、保育所のオーナー、一流企業のOL、女優という「売春島」で体を売っていた4人の女性と、同じく島で娼婦だった母を持つ息子。性に深くかかわる人々を通じて、“体を売る女性”におびえる心の動きや、男性が“女性に描くファンタジー”を浮かび上がらせたのが、小説『うかれ女島』(新潮社)だ。著者の花房観音さんに、話を聞いた。(全2回中の1回目。後編を読む)

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《江戸時代から、風待ちの島として知られて、荒い波が鎮まるのを待つために男たちが留まり、いつしかその男たちを迎える女たちが集まってきた。小さな島は、明治、大正、昭和になっても、身体を売る女たちの住む島であり続けた。

 それゆえ、「売春島」、または「うかれ女島」とも呼ばれるようになった》

(花房観音『うかれ女島』(新潮文庫)/以降、引用は同書より)

 花房観音さんが『うかれ女島』を執筆したのは、「売春島」こと三重県志摩市に存在する渡鹿野島(わたかのじま)の存在を知り、その異様さに惹きつけられたからだった。

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2015年当時の渡鹿野島(花房観音さん提供)

「作品の発端は完全に売春島ありきでした。私は小説家とバスガイドを兼業しているんですが、作家デビューする前はバスガイドの事務所で事務員もしていたんです。そんな時、バス会社から送られてくるコース表の中に『渡鹿野島』という地名を見つけて。でも読み方もわからないからネットで検索したら、一番上に『売春島』と出てくる。今の時代にそんな場所があるのかと衝撃を受け、その時からずっと、いつか行きたいと思っていました」

花房観音さん ©️文藝春秋/釜谷洋史

「フレンドリー&ラブリー」と廃墟のアンバランス

 江戸時代から遊郭を擁し、“うかれ女(遊女)”たちの島として暗黙裡に知られてきた渡鹿野島だが、2016年、8キロ先にある同県の賢島で開催された伊勢志摩サミットに向けての“健全化”などで、風俗産業は斜陽化。

 現在、自治体はハートの形をした渡鹿野島を「ハートアイランド」と銘打ち、2019年には島おこしプロジェクトとして、ジャニーズがテレビの企画で訪れるなど、島はフレンドリー&ラブリーに生まれ変わろうとしている。

2015年当時の渡鹿野島(花房観音さん提供)

 しかし、サミット前に駆け込みで島を訪れた花房さんは、その違和感を隠さない。

「2015年6月にはじめて島に行ったんですけど、拍子抜けというか……。“パールビーチ”なんて名前の南国のような浜辺ができていて、女性向けのホテルもあった。それに加えて“ハートアイランド”でしょ。夜に船着き場に着くとやり手婆がやって来るみたいな話も聞いていたのに、そんな様子もない。

 一方で、廃墟化した旅館やアパートが点在していて怪しい痕跡があり、一生懸命“リゾート”している分、奇妙なアンバランスさを覚えました」

渡鹿野島のホームページ

《あの島は、船着き場に「やり手婆」が待ち受けていて、男たちを誘うこともあれば、島のスナックや飲み屋で、声をかけることもある。そうして、男達は、やり手婆に連れられて、島の真ん中に幾つか立ち並ぶアパートの部屋に導かれる。

 女たちが普段生活している部屋だった。そこに男が訪れ、ショートだと数時間、ロングだと朝まで滞在する》

 渡鹿野島で行われていた売春は、女性が暮らすアパートに男性が“招かれる”かたちで行われていた。だからだろうか。その5ヶ月後、小説の舞台にしようと心に決めて再び島を訪れた花房さんは、不思議な体験をする。