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みのもんたは“老害”だったのか? 水道橋博士が語る「テレビの王様」の異常な姿

『藝人春秋2 ハカセより愛をこめて』より #1

2021/02/09

source : 文春文庫

genre : エンタメ, 芸能, 読書

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 プロ野球珍プレー・好プレー、朝ズバッ!、クイズ$ミリオネア……。さまざまな番組の名司会者として活躍し、2006年には1週間で最も多く生番組に出演する司会者としてのギネス記録も樹立したみのもんた。その姿はまさしく「テレビの王様」と呼ぶにふさわしいものだった。一方で清廉潔白なイメージからは程遠く、数々のスキャンダルを抱える人物でもあったことも確かだ。果たしてみのもんたの本当の姿はどんなものだったのだろう。

 ここでは、浅草キッドの水道橋博士が奇々怪々な芸能人の姿を紹介した書籍『藝人春秋2 ハカセより愛をこめて』を引用。“芸能界に潜入したスパイ”として、水道橋博士が間近で見続けたみのもんたの実像に迫る。(全2回の1回目/後編 を読む)

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みのもんたを襲った息子の窃盗事件

 2013年9月13日──。

 みのもんたは次男が窃盗未遂で逮捕された報を受け、今後、報道番組への出演を自粛する会見を行った。

「コシモンダこと、みのもんた 親子揃って手癖が悪い!!」

 先の番組内での女子アナへのお触りセクハラ疑惑=コシモンダ事件もあり、テレビ以外のメディアは、そんなふうに面白おかしく囃し立てた。

 かつて、みのもんたは平成のテレビ欄における陣取りゲームの王様であった。

 2006年には「1週間で最も多く生番組に出演する司会者」としてギネス記録に輝いた。

 しかし、高視聴率タレントにもかかわらず、黒々としたアクの強い顔つきからも分かるが、そのイメージは清廉潔白から程遠いのも確かだ。

 事実、今回の件に限らず、醜聞は少なくない。

 好プレーもあれば珍プレーもある。

 ボク自身、同じ芸能人といえども自分とは住む世界が違う天上人と値踏みし、漫才や週刊誌の連載でよく笑いのネタにしていた。

©iStock.com

 ボクが初めてみのもんたとテレビで共演したのは、2003年4月11日のこと。

 日本テレビのクイズ特番『史上最強! 誰が一番TVを見ているのかグランプリ』であった。

 収録開始1時間前の17時、東京タワーの下にある芝公園スタジオに入った。

 みのもんたは本番前から共演経験のある他の出演者たちに気さくに声を掛けている。

 当然のことながら、ボクとの間に会話はなかった。

 そして、本番。ボクはいつもの如く「博士」にしてはクイズの正解率が中途半端な状態のまま迷走を続け、みのもんたも司会者として「博士の名前が泣いているよ!」などとネタにした。

さながら「ひとり24時間テレビ」の過剰な仕事ぶり

 その後も見せ場を作れぬまま収録が進み、小心者のボクはノミの心臓で焦るが、みのの進行は余裕綽々。

 それどころか、クイズの合間、司会席で踊り出したり、スタッフにウィンクして腕時計を指さし、ビールを飲む手つきを何度も繰り返したりと、緊張感ゼロで、番組を自分色に染め上げて心底楽しんでいるふうだった。

「嗚呼、王様はどうせ、番組後の打ち上げのことを考えているんだな……」

 司会者のゴキゲンな様子を見ながら、ボクはやっかみ半分で邪推した。

 収録は4時間ほどで、押すこともなく、22時に終了。

「お疲れ様でした!!」

 出演者たちの声がスタジオのあちらこちらでこだまするなか、ボクは脱兎の如く楽屋に戻るしかなかった。

 一方、スタッフによれば、そのまま打ち上げに行くとばかり思っていた、みのもんたは、その後、別室で軽く乾杯の音頭だけを取ると、すぐに移動して24時からの新番組の収録に駆けつけ、そして明けて朝4時にはTBSに入り、『サタデーずばッと』の生放送に臨むというのだ!

 さながら「ひとり24時間テレビ」とでもいうべき、その過剰な仕事ぶりを知り、先刻まで「いい気なもんだな!」などと思っていた自分の浅はかさを恥じた。

 さて「テレビで初共演」と書いたが、実はそれ以前にボクは毎週みのもんたと会っていた時期があった。

 遡ること約30年──。

 みのもんたは41歳、ボクは23歳の頃の話だ。