昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

新しい発見が次々に出てくるように

 ならば、ノンフィクションのプロではない私としては、プロでないからこそできることがあるのではないか。これまでの証言や資料は参考にしつつ、新たな取材も重ねる。そして政治家、検察、行政、企業、メディア、法律、軍事、日米関係、世界情勢など考えられる全ての視点からこの事件を検証しなおし、ゼロからロッキード事件を再構築してみようと考えました。

 先入観を捨てて角度を変えて見ると、善は悪になり、黒は白になることがある。それは、私が小説でやってきたことです。驚愕の新事実は掘り出せないかもしれないけれど、とにかくできることはすべてやろう、と決めました。

600頁近い大著『ロッキード』

 実際には連載開始までのスケジュールが厳しく、本当に苦労しました(笑)。何度も心が折れかけましたが、次第に新しい発見が次々に出てくるようになったんです。

◆◆◆

 角栄がロッキード社の代理店である丸紅から「大型旅客機トライスターを全日空が買うように口添えして欲しい」と頼まれたのは、検察の主張によれば目白台の田中邸の応接室だった。

 この応接室は、新潟県柏崎市の「田中角榮記念館」に寸分違わず復元されているのだが、そこを訪ねた真山氏は、初対面で請託するにはあまりにも相応しくない、その場の空気に疑問を持つ。

 さらに現金授受の過程を車で実走して検証、ここでも検察の見立てに大きな穴――当日は大雪で首都高が使えず大渋滞だったこと――を掘り起こした。

 また、全日空関係者の証言を初めて引き出し、そこから全日空がきちんと独自調査を重ねてトライスターを選定しており、そもそも口利きなど不要だったことも明らかにした。

◆◆◆

ロッキードを描くこととは?

 徹底して資料にあたり取材をする内に、もし小説にするならどうか、小説家としての妄想力を重ねていくようになりました。

 角榮記念館の応接間を見て、ここで朝、短時間に請託をするなんてあり得ないと思いました。朝餉の香りが漂い、次から次へと陳情客が訪れる中で、数分間で出来る話ではないです。もし小説にこの場面を書けばあまりにも不自然になってしまうでしょう。現金授受の過程も実地検証して思いましたが、この事件で検察が書いた筋書きは、無理な解釈が多すぎるんです。