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「殺しちまえばいいじゃないスか」クリスチャンの被害者がオウムのサリン製造者を凍りつかせた瞬間

『私が見た21の死刑判決』より#27

2021/02/27

source : 文春新書

genre : ニュース, 社会, 読書

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 1995年3月、地下鉄サリン事件が世間を震撼させた。事件から2日後の3月22日に、警視庁はオウム真理教に対する強制捜査を実施し、やがて教団の犯した事件に関与した信者が次々と逮捕された。

 逮捕後、取り調べには応じたものの、起訴された信者の中には裁判で黙秘を貫くものがいた。そうした判決公判廷の傍聴席にいたのが、ジャーナリストの青沼陽一郎氏だ。判決に至るまでの記録を、青沼氏の著書『私が見た21の死刑判決』(文春新書)から、一部を抜粋して紹介する。(全2回中の1回目。後編を読む)

◆◆◆

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 黙秘を貫いていた殺人犯が、法廷で事件を語るようになる。

 それは、坂本弁護士一家殺害事件から松本・地下鉄両サリン事件まで、教団の引き起こした全ての殺人事件に関与した新實智光も同じだった。

 ただ、新實の場合は、中川とは事情が違っていた。

 自身の法廷では「たとえ、この命が奪われようとも──」とはっきり言及して、教祖に付き従っていくことを明言していた。

「麻原尊師の再生によって全てが救われますよう!」と意見陳述をしては、事件の一切について黙秘を貫いた。よくいえば、それだけ純真で、自分の持った信念を頑に貫き通してみせる姿勢には関心すらしたが、悪くいえばそこに「バカ」が付いた。だからこそ、教祖にいわれるままに殺人を繰り返し、教祖の側でも純朴な下僕を便利に使っていたのだろう。

 純真さは、例えば、早川紀代秀の法廷での一こまにも見ることができた。あの岡崎の肉体関係を糾弾して、猛攻撃を仕掛けた弁護人がいる裁判での場面だ。

©iStock.com

 そこでも新實は黙秘を貫いた。坂本事件について、証言を拒否していた。検察から何を聞かれても、一言も言葉を発しなかった。そして、そのまま取り調べが終わり、退廷しようと刑務官に手錠をかけられている時だった。件の弁護士が突然、新實に声をかけた。

「今日はしゃべらんでも、いずれ弁護側の証人として呼んだら、この早川のためにしゃべってくれるんやろ!?」

 すると、目をキラキラさせながら、

「ハイ!」

 と、大きな声で答えた。背が高く、しっかりした体格の男だったが、まるでかわいい子供のようだった。そこに、もう一言、弁護人が優しく声をかける。